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エッセイSP(スペシャル)

つながる・・

たかやま じゅん

2012年9月17日

 ホテルで荷物預けもそこそこに山の手の異人館から街並みを俯瞰し、明治の香り漂う坂道を下り港へ向かう。平清盛が拓いた神戸港は今も貿易の要である。公園の一角に大震災の傷跡が遺されていた。その夜は南京町で一献傾ける。
 源平のおさらいは須磨寺から浜辺を歩き悲運の公達である平敦盛を偲ぶ。瀬戸内海周辺は「一の谷古戦場」を始め平家の滅亡に至る史跡に事欠かない。赤旗や白旗で埋め尽くされた光景が浮かんだ。
 旅のテーマ「城巡り」は、四つの城で戦国から江戸時代にかけての歴史を目の当たりにした。後にこれらが一つの糸でつながることになる。
 洲本城の石垣などは戦国時代がそのまま残され、淡路島の要塞とも例えられた。雨と霧で天守閣は断念。晴れていたら瀬戸内海が眺望出来たであろう。
 明石城はJR駅を出ると目の前に白亜の櫓が二つ、高石垣で結ばれていた。天守閣の替りともされる大きな坤櫓(ひつじさるやぐら)は伏見城からの移築とされている。幕末まで続いた城主は以前に訪れた松江城と同じ越前松平家の系統であった。帰りに魚の棚商店街の屋台で食べた明石のタコは絶品で夏が旬だそうな。
 龍野城は山城のため駅からタクシーに乗る。ここの殿様は洲本城から伊予の大洲を経て入った脇坂家。帰り道の醤油資料館で醤油饅頭を味わい、揖保乃糸で名高いそうめんの里での流しそうめんが涼さを呼ぶ。
 松の廊下事件で断絶した浅野家から幕府の命で赤穂城を収城したのが脇坂家であり、龍野から赤穂まで軍勢を率いた様子を想像する。
 赤穂城は復元作業中で石垣の組み方などを裏側から見ることが出来た。歩いてみると想像したより広いのに驚く。駅前の大石内蔵助像に始まり、そこかしこが忠臣蔵の世界。お城に隣接する大石神社の参道に建つ四十七士像の寄進者に末裔らしき名が連ねてあるのが印象深い。
 そして歴代藩主の菩提寺となる花岳寺では、浅野家の後に入る森一族の事跡を知った。
 浅野家断絶から永井家を経て森家が赤穂城主となり明治へ続く。この森家の祖は織田信長の小姓として知られる森蘭丸・坊丸・力丸兄弟の末弟森忠政であった。
 旅の締め括りは京都に二つの寺を訪ねた。京都市役所の向かいにある現在の本能寺で「本能寺の変戦没者合祀供養塔」に蘭丸兄弟の名を見た。もう一つは信長主従が倒れた本能寺。そこは堀川高校の裏手一帯であり「此附近本能寺址」の碑があるのみ。この五日間の旅は歴史の糸でつながれていた。

◎プロフィール

〈このごろ〉朝の愉しみは「梅ちゃん先生」の笑顔から始まる。そこに日本が元気だったころを観た。終わってもスペシャル編があるとか・・

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