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エッセイSP(スペシャル)

通勤列車で

冴木 あさみ

2013年7月 1日

 

 

 札幌在住の私は地下鉄で通勤している。ラッシュの時間と少しずれているのでもみくちゃになることはないが、安心車両に乗り込むくせがついている。始発から九時まで女性と子供のための安心できる専用車両が用意されているのだ。お蔭で加齢臭漂う男性と接近することもなく、もちろん痴漢の心配もなく朝から爽やか、通勤にストレスを感じない。

 しばしばこの車両に、おじいちゃんが乗ってくる。周りが女性ばかりということに違和感を覚えないのか、表情も変えずに平然としている。その光景も滑稽だが、女性たちが気にも留めず注意を促すこともないほうがもっと面白い。もし、これが中年男性なら誰かがイエローカードを突き出すことだろうが、もはや男性圏外ということか。女性の中にポツンと存在するおじいちゃんが小さくはかなげに見えてくる。いくつになっても男は男だという威勢のいい声がしぼんでいく光景だ。

 おじいちゃんに限らず、老人はどの辺りから老人と言われるのだろう。歳を重ねるにつれ、見た目の年齢は人によって差が出てくる。健康食品や化粧品などのコマーシャルでよくある実年齢よりもずっと若く見える人。必ずしもその商品がもたらした結果とは思わないが、既に定着した造語「美魔女」のように年齢よりも若く見える人はいる。より若くいたいという気持ちは多くの人が持っている。八十になってもまだまだと思う人も、七十で高齢者だからと弱気な人もいる。安心車両に乗り込んで非難されないおじいちゃんという境界線はどのあたりだろう。

 毎朝同じ時間同じ安心車両に乗ってくる母娘がいる。娘は二十歳ぐらいだろうか。身体がスムーズに動かず、席を譲られる時、母親がそっと手を貸して彼女はゆっくりと腰かける。何らかの障害を抱えているようだ。

 長いまつ毛の大きな瞳は、見えているはずだが周囲のどこも見ていない。寄り添う母親はいつも素顔で、髪の手入れもなく近所を散歩するような服装は、きっと実際の年齢よりも老けた印象を与えているのだろう。通勤列車の装う女性たちの中でとりわけ疲れて寂しく見える。途中乗り換える駅で、私と一緒に彼女たちも降りていく。その足は学校へと向かうのか、それとも作業所だろうか。母親は体力の続くまでこの娘に付き添っていくのだろうかと、空想してしまう。

 自分は小さくて、ただ見守ることしかできない無力な存在と認識しつつも、高齢者も障害者も家族だけが抱えるべき問題にしてはならない。今より、もう少し社会が手を差し伸べてくれれば…そう思わない日は一日たりともない。

 

 

 

 

◎プロフィール

札幌市在住。障害者就労支援員。人間ウォッチングと街歩きで空想の世界に浸るのが好き。一昔前のサスペンスドラマにはまっている。

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