No.1,204
2015年10月26日
今年はですね、春先からホームセンターへ出かけては花の苗を買ってきて、庭にプランターにと、色とりどりのお花を植え育ててみました。
初めての体験でしたので最初の頃は苗の根を解くを知らず、肥料を水を、の適切な施しがつかめず弱らせた花を目の当たりにしてはドギマギ、悲しい気持ちにもなったものです。「弱った患者さんを前にアレコレ適切な処置をこうずるお医者さんはコウいった心境なのだろうなー」、なんて事も思いながら。そして、液体肥料を与えたり日当たりの良い場所へ植えかえたりしつつ「花色、活き」が回復して来るを実感すると此れがまた嬉しくてね、大いに「育てる喜び」を知りましたよ。お医者さんも治療を経て患者さんが元気になる姿を見るは、とても遣り甲斐ありましょう。農家も様々な産業もそうなのだろうね、「手をかけ育て」やがてそれは「我が子」の様に愛おしき存在に。酪農なんかでも生産調整で泣く泣く搾った牛乳を廃棄するのもこの辺の感情なのでしょうね。そうして晩秋、我が家のお花達もこの半年間、きれいに咲き続け沢山の潤いを「ありがとうね」、ってセンチメンタルに使命を果たしつつある姿へ日々、「凍ってしまうかな?」とも思いながら、じょうろで水を注いでおります。
今年こんな事を始めたのは、ただ母上の喜ぶ顔を見たくてでしたが、お陰で今までは何も感じてなかった、ろくに視界にさえ留めなかった普段の道々の色づく花がもう、「他人事」ではあらず気になって仕方なく。歩道沿いや通りすがりの御宅の植え込みに一々視線を止める様になり、花の種類や名前も今年は一気に知ることになりました。 こんな風に日頃生きていても、見向きもしていない気づきもしない事だらけなのでしょうね、きっと人の視覚から脳への伝達なんて。
さあ、ここ暫くは枯れ葉を竹ぼうきで集め冬囲いへと、そしてまた来年の春を待ちましょうか、またどんな自然の色彩が2016年の人類を迎えてくれましょうか。