No.1,221
2016年3月 7日
本日の頭ニュースは認知症男性徘徊事故によるJR東海からの損害賠償訴訟、最高裁で逆転無罪判決件。 列車にひかれた男性当時91歳、奥さん93歳が数分目を離した間の不幸らしく、いわゆる老々介護世帯。2007年大阪市での事ですが二審までは、家族へ720万円JRに対し賠償せよ、が逆転。
この超少子高齢化時代、先にも老人施設で介護職員が建物上階から殺める事件が表面化と、自らに置き換え広く社会で現実を受け止めねばならざる時。かつての如く大家族三世代暮らし、誰か彼か家に居り病人や年寄りの世話をするが常の頃や、加え現代の様に医療が発達し以前なら既に亡くなられていましょう延命方々と、ここ数十年でご存知の様に老齢期以降の生き方変わり、取り巻く社会保障体制も手探り中、の事。例えば、身内の方の認知症が進んで話が通じなくなっちゃって、行動も理性が無くなっちゃって。例えば、その方が食事をとれなくなりお医者さんから「どうしますか?、ご本人はお元気な頃何か希望を?」と、家族が答えを求められたとき。「胃瘻を!」、だとか「もう!」、だとかの判断を健全な頃自身で意思表示あらざれば、ほぼ無理。後を任される身内の気持ちはいつも「先生、どんな姿になろうとも生きていて欲しいです!」以上は踏み出せぬものでしょう。時に病院で、体中チューブ入り言葉も表情もない、食事の楽しみさえ望めない方々を目の当たりにすると、百の千の万のそれぞれが違う命達の「過去と意味と明日」を思うと、答えは命の数ほど違うのでしょうが、声なき声を求めてもただ、寄り添う事しかできず。
最近、代々続くお墓を処分したりの身辺整理話も多々見聞するけど、変わらず経済至上主義の残念なNHK国会中継を横目にしつつ、変わらざる得ない明日を見上げて思うは。一歩踏み出し、まずは机と本棚の整理から始め、先には世の中を整理かかりやがて、ベッドに繋がれた時には、さあ、ボクらなら「ド・ウ・ス・ル?」、(^_-)。