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エッセイSP(スペシャル)

夢がしるべ

吉田 政勝

2021年3月29日

 夢があるだけだった。
 |ああ、金があれば。金持ちの家に生まれていたら......。と痛感することがあった。だが無理な事を思いわずらうのはやめようと思った。一人前になるために、恵まれていない負のスタートでもヤケにならずに身の丈に応じて質素に生きてゆこうと考えた。
 |金持ちになっても貧乏人のようにつましく生きる。
 と成功した画家のピカソが自伝の中に記していた。ならば貧しい苦学生の私と金持ちのピカソとは同じ境地と解釈したのだ。
 札幌に出たのは18歳すぎで、デザインの夜学に学ぶためだった。働きながら学ぶ道を選んだ。伝手なしの我は自作のデザインを持参して、N社に飛び込みで面接にゆき採用された。運よく寮があった。職場から学校へ通った。夜間部の教室で男の友ができ、2人の女子とも親しくなった。
 初夏を迎えるころに、人気デザイナー横尾忠則の講演が札幌のDホールであると聞き、職場の同僚と会場に向った。主催するのはアメリカの通信教育会社の代理K社だった。会場でタレントテストが行われた。私は鉛筆でクロッキー画を描いた。審査したのが横尾氏で、講演後に私の名前が呼ばれた。係員からパンフレットが渡され、ホームスタディの説明があった。
 ボブピークやノーマンロックウェルなど講師らに惹かれ、受講を決めた。月に5千円弱のローンの支払いだった。1万5千円程度の月収で、両立は無理があったので夜学は中退した。そのころ札幌の出版社Zでデザイナーを募集していると話があった。出版社に転職し昇給になった。寮を出てアパート暮らしで、予期せぬ出費もあり給料日前に困窮して本を数冊古本屋に売った。読みかけの本を手放して千円ほどを手にしたこともある。また、質屋ののれんをくぐって腕時計を預けた。人に借金をせず、急場をしのぐ時にそれらは役に立った。貧しかったが、夢だけは胸で輝いていた。
 夢は不遇時代の生きる標(しるべ)だった。

◎プロフィール

(よしだまさかつ)
商業デザイン、コピーライター、派遣業務などを遍歴。趣味は読書と映画鑑賞、時々初心者料理も。

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