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エッセイSP(スペシャル)

冴木 あさみ

2022年4月 4日

 知人の愛犬が亡くなった。十四歳。寿命かもしれないが、家族を失う悲しみほど辛いものはない。電話の向こうから聞こえる涙声の訃報に、返す言葉は見つからない。最期を見送ってねと短く告げることしかできなかった。
 数年前、私も愛情を注いできた愛犬を失った。亡くして暫くはその日を思い出すたびに体内の循環に異常を感じ、眩暈がした。まず、現実を受け入れるための努力が要るということを知った。
 本当は死んでいなかったのかもしれない。私はまだ生きている愛犬を火葬してしまったのかもしれない。突然鼓動が激しくなり叫びそうになる。いや、待てよ。冷静に、冷静に。ゆっくり思い出してみる。やはりあの子の息は止まっていた。夜まで動こともなかった。動物の火葬業者が来て確認もしている。あの子が死んだのは事実なのだ。心の中で何度この問答を繰り返したことか。
 生まれたからには必ず死ぬという普遍の原理が、不思議でならない。今生きているすべての者がたとえ僅かな骨が残ろうとも、無になる。生命が発生してから三十五億年繰り返されてきたこととはいえ、自分の死についても想像すると空想の世界にしか思えない。意識がなくなり、身体を燃やされて、そのあと自分が消え去るということは...。簡単なようで、理解できない。
 初めて人の死を目にしたのは私が4歳の時。祖父の死だった。母が幼稚園に迎えに来て、手を引かれ帰路を急いだ時のことを覚えている。
「おじいちゃんが死んだのよ」
「死ぬとどうなるの?」
「じっと目を閉じたまま動かなくなるの」
「死んだらお星さまになるの」とか「天国に行くのよ」などとメルヘンを語らなかった母を私は尊敬する。母の信念なのか、それとも緊急事態で幼子への気遣いにまで頭が回らなかっただけなのか、そこは分からない。でも物心つくまでに体験したことは、その後の自分の形成に大きな影響を及ぼすことは間違いない。
 母は自分の最期の準備も整えていた。お気に入りの銘仙の着物を身にまとい、棺に収まった。近親者のみの小さな葬儀。遺骨は粉砕して太平洋の藻屑とすること。残された家族は母の台本に従って全てを進めた。きれいさっぱりとプロデュースした母。子は親を超えようと努力し、親もそれを望むものだろうが、風に舞い海原に消えていく微粒子を見ながら、母には敵わないなと白旗を上げた。
 母に話したいことがある。愛犬をもう一度ぎゅっと抱きしめたい。でも、どこに行ってももう会えない。無。

◎プロフィール

花屋に桜が咲いていた。今年はあちらこちらへと花見に出かけたい。あと一カ月。

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