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エッセイSP(スペシャル)

七十四歳の新人

冴木 あさみ

2022年7月 4日

 「そんなに履歴書を汚すもんじゃない」
 昭和の時代、年配の管理職の男性が中途退職する若い社員に話すのを耳にしたことがある。汚すとは、転職により履歴書の経歴欄に入社と退職の行数が増えることを意味していた。
 最近の調査で、新卒で入社した会社を定年退職する人の割合は約半数という。近年転職は珍しくないが、昭和時代の労働意識は違うと感じる。頑張れば報われる時期でもあった。
 転職が悪いこととは思わない。新卒で初めての会社が一発大当たりになる人の割合は決して多くはないだろう。理想と現実。実力の有無。人間関係を含む環境、実際中に入ってみなければ分からないことは多い。高卒、大卒共に新卒者の三年以内の離職率が三割を超えているというデータがそれを裏付けている気がする。
 「継続は力なり」「石の上にも三年」
 今こんな言葉で鼓舞してくれる人はいるだろうか。今の若者は、価値の見いだせない努力とか我慢はしないようだ。新たな挑戦で開花できる人は幸いだ。運よく歯車が回れば信頼もついてくる。
 信頼はそれまで歩いた道のりの評価といっても過言ではない。例えば転職癖のある秀才と、ほどほどの能力だが勤務実態の安定した二人がいるとしよう。責任あるプロジェクトを一人に任せる場合、どちらに振るのがいいだろう。
 今年欠員のため一人求人を出した。私の職場は職員数が定められている福祉事業所なので、欠員が出たときは早急に補充しなければならない。急募に対して期限内の応募者は二人だけ。一人は四十代で、履歴書はおおいに汚れ、過去二年間は数か月単位での転職。いずれも職場側に問題があったという本人の弁だった。本来ならば採用に至る人ではない。もう一人の応募者は七十四歳というご高齢。しかしながら、経歴は長年介護事業畑を歩んできた人で、定年後は再就職で管理者を務めた。まだ健康で働けると元気をアピール。
 どちらも決定打に欠ける。共にどこか危うげなので、二人同時採用した。テキパキと仕事をこなせる四十代の彼女はきっかり三か月目、給与に不満があると言ってさらりと去った。履歴書にまた二行経歴が増えたことになる。
 継続は信頼なり。長年一つの仕事をこなしてきた七十四歳は、年齢のせいか忘れっぽいが、逆風にも負けず、現在常勤職員として仕事をこなしている。今やいないと困る人になっている。

◎プロフィール

●作者近況
さえき あさみ
地下鉄ののぼり階段で躓き転倒。両膝打撲と肋骨にひびが入った。転んではいけない年齢になったことを憂う。

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