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エッセイSP(スペシャル)

五人に一人

冴木 あさみ

2024年2月 5日

 私の勤める福祉事業所は、一般企業での雇用が難しい障害者に働く場を提供している。地域の企業からの依頼で、軽作業も時々入るが、主な仕事は縫製だ。
 昨年十二月、七十を過ぎたA子さんが入ってきた。聴覚障害者で、発音は僅かに理解できる。
 事業所に見学に来た日、A子さんは即座に通所したい意思を示し、自己アピールにも熱が入っていた。数十年間仕立て会社で働き縫製の技術が高いこと。それに加え編み物もできる、休まずに通える。ただ、十年前に発病した脳梗塞の後遺症が少しあるとのこと。
 意欲があるならばぜひどうぞということになった。
 始業は九時だが、朝の静かな時間にひと仕事しようと私は八時に出勤している。と、暗い廊下に真っ黒な人影が。振り向いたそれはA子さんだった。
「早く来ても中に入れないから寒いでしょ。九時でいいんですよ」
 はいっという返事。ところが、翌日もその翌日も、毎日八時前にドアの前に立っている。時々夜明け前に家を出るらしい。暗くて懐中電灯が必要だったと文句を言う。
 逆パターンもあり、夕方四時に「仕事だ」と言っておにぎり持参で出勤してきたこともある。
 ある日、福祉課に行く用事があるため、随行する相談員が事業所まで迎えに来ることになった。午後三時に迎えに来る旨を彼女に伝えると、昼食後すぐに荷物をまとめ、ダウンジャケットを着て帽子を目深にかぶり立っている。「まだ十二時半ですよ」と言っても馬の耳に念仏。その恰好で二時間半待つ忍耐力はすごい。アインシュタインは物質の周囲の時空は歪むと言ったが、認知機能が低下した人の時空もおそらく歪む。
 病気の前は能力があったに違いないが、現状ミシンに糸もかけられない。縫う部分に線を引いてもこれを超えて大胆に縫い進む。気分を変えて簡単な編み物を用意した。
「編み目を増やさないで、ここでストップね」
「ハイ、分かりました!」
 どこまでも編み続ける。どんどん目が増えていく。三角錐だと座布団にもならず。「この人への支援は就労系ではなく介護系では?」
 疲弊するスタッフがぼやく。でも就労は本人の希望なので無下にもできない。
 対応に苦慮していたスタッフも、二か月をかけてA子さんの特性に慣れつつある。六十五歳以上の五人に一人が認知症を患うという。将来その一人が自分かもしれない。A子さんは決して特別な人ではないのだ。徐々に彼女に仕事をする楽しみを感じてもらおうという意識に変わった。
 そして近々三人のスタッフが脳ドックを受ける予定だという。

◎プロフィール

<作者近況> さえき あさみ
アジア人観光客が多い。雪の上にはしゃいでダイブして写真を撮り合っている。見ている方も結構楽しい。

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