No.1,616
2024年5月20日
ここ数年はやはり、コロナ禍と以後の2つの戦争に関するニュースを観過ぎていたせいだろう。非日常に対する人間の反応、に接しては焦りと落胆を抱え込んだ日々の連続でした。加えSNSで繋がっては、相手の名前さえ知らない関係で安易な闇バイト事件の数々。戦争も強盗の手法も、世界監視カメラ下にハイテク時代に入った現代では、まず無かろうとのやり方が正に繰り返されては考えさせられている。
ここの処が、「過去から学べ」と言われて久しい、所以なのかもしれない。 さて、人が情報を得るツールはネット発達期を境に幅が極端に広がりました。「新聞・ラジオ・テレビ」、「インターネット経由」と、今や比率も逆転しているそうで。広告収入もそれに連れているそうであり、この先の世はネット世代が続々と生まれ益々と成長。
自らも幼児期おぼろげながら、白黒テレビからカラーテレビへの変革期の記憶を引きずり出してもシミジミ思わされる。その時々の常識のはかなさを、それら無数の点が知れず繋がり今日が歴史となっていく。人生を振り返る事が多くなったのは、〝今〟を生きていないことなのかもしれない。
身近な人々が順番に齢を重ね、認知症が顔を出し変わり行く姿を戸惑いながら、見送って来た。皆さんも齢を重ねる段階で、同じ経験をされている事でしょう。ボクは若い頃より、一世代上の人々とのお付き合いが多かった関係上、そんな寂しい体験がより増幅されているのかもしれない。
自身、幾つかの通院場が有りますが先日の事、予約時間受付寸前に気づいた事。『ここの病院ではなかった!』昔で言えば目が点になる瞬間。急ぎ車に戻り移動し、事無きを得ましたが内心のショックは、それはそれは。時に誰しも、『あれっ?』って事が顔を出しますが、認知機能への自覚は見送る方から見送られる方への自覚となり。
個人も地方自治体も国も地球さえも、瞬間毎に変化し続けている。破壊と再生の繰り返し『万物は流転する』ですね。