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エッセイSP(スペシャル)

2011年の夏

吉田 政勝

2024年7月22日

 ノート類を入れた箱を整頓していた。2011年の手帳を手にとって開いた。この年、日本人には忘れることができない天災があった。
 「東日本大震災、三月十一日十四時四十六分」と赤字で書かれてある。家が急に揺れたので、妻とともに外に出た。長い揺れが収まり家に戻りテレビの電源を入れた。宮城県沖が震源地で、津波警報が発令された。次々と驚愕する悲報が放送された。
 災害は思いがけない被害だ。美しい渓流も大雨で濁流となり人を飲み込んでしまう。この手帳には、前年に中の川水害で命を落とした若者への慰霊の旅がつづられていた。
 七月三十日、私は夜中の二時半に起きて、大樹の歴舟川へ向かった。幸栄橋の手前で釣り友U氏と合流して、彼の四駆に乗り込んだ。この日、私たちは渓流釣りと、前年に「中の川」で水死した若者への慰霊が目的だった。林道を走り出すと「昨年、学生を乗せたのはこの辺かな」と私はつぶやいた。 
 それは2010年の八月十七日、釣りの帰りに、先を歩いていた人が手をあげたので車を停めた。「増水で仲間がテントごと流されました」と若者は話した。彼を乗せると交番へ向かった。彼は増水に流されながら岸に着いた生存者のKさんだった。
 あれから一年が過ぎた。林道の通行止めの前で車を停めて、ウェイダーを履くと歩き始めた。林道が途切れた草藪を歩きつづけた。崖を降り、本流を上った。やがて中州の河原に出た。歩き始めて三時間も過ぎていた。河原の石の上にパンや餅を供え、途中で折ってきたエゾアジサイの花を手向けた。安らかに、と私たちは祈った。ふたりだけの慰霊祭を終えて、川を下りながら釣りをした。一息ついて梅おにぎりを食べ、水を飲んだ。私の長袖シャツとズボンは汗でぐっしょりと濡れていた。日が暮れた頃、橋の手前に停めた私の車に荷物を移して、U氏と別れた。長い一日だった。
 自然災害は人の叡智では制御できない次元かと思い知らされる。一冊の手帳を読んで、薄れかけた出来事をありありと思い出したのだった。

◎プロフィール

心況(よしだまさかつ)
いつの頃からか手帳日記になっていた。慌しく変化の多い人生の備忘録である。

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