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エッセイSP(スペシャル)

この世にこんな旨いものが!

冴木 あさみ

2024年11月 4日

 十九の時、彼の故郷の家に遊びに行った。大学生になり初めて付き合った彼だった。結婚の約束もしていないのに何故そんな敷居の高い場所へのこのこ出かけて行ったのか、今でも思い出せない。彼はオープンな人だったので仲良し家族に紹介したいと、ただ軽い気持ちだったかもしれない。
 いや、若かりし頃のロマンスが本日の話題ではない。
 私たちは、人気のドーナツ屋で彼の中学時代の親友と合流した。その時初めて口にしたフレンチクルーラーは、私の持つドーナツの概念を粉砕した。
 「この世にこんな美味しいドーナツがあるなんて!」
フレンチクルーラー越しの彼の親友の顔も、似顔絵を描けるほど覚えている。
 初めて出会う食べ物の衝撃や感動は誰にもあると思う。一番古い記憶は小学生の時に来客が持参した『かもめの玉子』。私の味蕾が、ねっとりとした餡を受け止め、目はうつろ。一個しか食べさせてもらえなかった。翌日を楽しみにしていたのになぜかもう無い。
 「これは子供の食べるおやつじゃない」
祖母の言葉は往復ビンタに近かった。
 アボカドを初めて食したのは二十三歳の時。「醤油とわさびでウニの味」という触れ込みによろめいて買い求めた。半分に割り丸い種を抜いた穴に、刺身醤油とわさびを適量添える。グロテスクな外見にそぐわず、果実はとろけるコクとなめらかな舌ざわり、心をつかんで離さない。どうか日本に根付いてくれますように。輸入物でまだ地位を確立していなかったアボカドの日本における黎明期。湧き上がる感動と同時に小さな不安も生まれる。
 「不人気で市場から消えたらどうしよう。」
 幸い杞憂に終わり、ワインとアボカドの夜を過ごした日々が、懐かしい。
 感激に打ち震えた、これら「こんなに旨いもの」は、今や珍しくもない普段の味と化している。
 その後もさまざまな新しい味に遭遇したはずではあるが、その瞬間の場面まで記憶に残るものはぷっつりと途絶える。年齢とともに経験値も増え、新鮮な感動を受け取る受容体の感度も弱くなったのだろう。
 以前は「ご褒美に今夜は美味しいものを食べよう」と思ったら、即座に行くべき店が決まったのに、最近は食べたいものすら浮かばない。若いころは感動や幸福感は波のように押し寄せてきたものだが、年を経るごとに体力と気力を駆使して、積極的に探し求めなければ得られなくなってきた気がする。
― 求めよ、さらば与えられん。

◎プロフィール

〈 作者近況 〉さえき あさみ
酷い口内炎で一週間食事ができず。ドラッグストアの豊富な栄養補助飲料品に助けられる。

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