けんこう・・
2024年12月16日
日本を代表する随筆の一つ「徒然草」は、鎌倉時代から南北朝の頃に吉田兼好が人生や世の中、そして自然と芸術などを独自の視点で綴り、現代人に通じることも少なくない。中でも友達については、悪しき友の中に『病なく、身強き人』とあり、これは健康すぎると病気の人の気持ちが分からないからだと解いている。
40年前、私は下町と呼ばれる江東・葛飾・江戸川・墨田の都内4区を管轄する事業所に所属していた。世の中も上向きで時間をいとわず仕事に邁進し、今日標ぼうされる働き方改革からすれば、問題になりそうな〝モーレツ社員〟の30代だった。
その時の仲間が集まる知らせを受けた。私が一番遠いことから上京出来る日に合わせて貰えた。集合場所の錦糸町駅に着くと改札口には懐かしい顔ぶれが揃い、居酒屋に陣取ったのは80代を筆頭に70代の総勢15名となる。
やはり女性たちの肌は艶やかで、これこそかつての仕事柄の賜物。男性は髪に白いものが目立つも意気軒高だった頃の面影を遺していた。昼食時にも拘らず次々とグラスが追加され皿に盛られた肴は空となり、その健啖ぶりは年齢を感じさせない。
話の中で診察カードの枚数に話題が及ぶ。たいがい一つ二つは通院しているようで、ここに集うことが出来たのは健康の賜物だと頷き合う。語らいの刻は瞬く間に過ぎ、〝来年も出てきます〟と再会を宣言して、その場を後にする。
この日の夕食は、40年来の友人と常磐線の綾瀬駅で待ち合せをしていた。最近の東京はJRと東京メトロに私鉄各社が相互に乗り入れ網の目のようでアクセスが分からない。幸いスマホで路線と時間が直ぐに表示され、改札はICカードでスキャンすればよい。錦糸町からは東京メトロ半蔵門線を北千住で東京メトロ千代田線に乗り換え約30分の近さだった。きっぷ売場の路線図を眺めていた若き日が思い出された。
こうして綾瀬駅前の店でグラスを合わす。当時、その友人はレコード会社の制作としてラジオ・テレビ主題曲を集めたレコードを出すにあたり、ライナーノーツを書く機会を与えてくれた。私がこうして書くことの発端になったのは彼との出会いに遡る。現役時代に足を痛め杖が手放せないが、退職後は好きなギター演奏をしているそうで、そんな話をツマミに夜は更け、お互いに元気で来年また逢おうと別れを告げた。
◎プロフィール
〈このごろ〉人生下り坂と言いながら登り坂での自転車姿は同世代の励みとなった。同い年のふたご座、まだ〝とうちゃこ〟するには早過ぎる。