No.1,022
2012年1月16日
年が明けて一月も半分終了、早いはやい。そして思うに年々由緒正しき日本の伝統的御正月の過ごし方から、かい離して行っている、いや、何も正月に限らずに一年を通しての節目ごとの行事を簡略化から省略化すらしている、と思い至る。
案外僕は古風で子供の頃から観て来た、祖父母や父母の背中をなぞり行動する処がありまして。基本的には盆暮れや慶弔時の行動様式ですが、それにしても近年は手抜きと言うか現代的と言うか、見方によりますが「意識」としては伝統を継ぎ守る方が精神的には楽、一方では「もう、良いのかな?」って結果、自分の道が開けて来た自由感も見え出す。
「人は変わり行くもの、そして死に行くもの」を認めて向き合い、「さあ!、残りの人生を捧げる対象は何処ぞや?」と日々問うてたりする。再出発の気持ちになれる幸せを感じつつ、片や未だイカリを降ろす港を持たぬ不安定さをも逆手に取って。
以前は何かと浮れ酒を煽っては知人宅や、馴染みの酒場を徘徊しては賑やかにしていたが、いつしか群れる事が妙に気恥ずかしカッコ悪く感ずる様になり以降、独り歩きが楽ちんになり、今は昨今の引きこもりとは一線画しての「蟄居的夢想」。より高く跳びあがるに備えて、身を小さく屈めている時。
ゆえに年末年始は本を読んでいるか、テレビで映画を観ては感性の洗濯をしており申した。内でも黒澤明監督にしては地味に人間模様を画いた「生きる」と「まあだだよ」は心引っかかるものが。最も、いまだに先々の楽しみと「七人の侍」も観ていない程度の、黒澤フリークでも何でもないのですが新ためて「古き良きもの力」に回帰した次第。故にも文頭に記した「伝統行事力」を完全に手放す選択肢はあり得ませぬ。日本人たる屋台骨を組んでくれている武士道精神の残像を育み続ける為に。
と言うところで、ユーロ圏経済、アラブの春後、諸国トップ選挙、そして東北大震災、と大枠での課題が明確に2012年も地球規模で動き出した訳でありますが、もっかの日本の注目は橋下新大阪市長の動きですね。
何処まで大阪維新に追い風を吹かせ続けられるのか、日本丸ごと造り変えちゃう歴史的英雄にまで時代はタイミングを合わせてくるのか、大きな声では言えないがこれ程面白いチャレンジをリアルタイムで拝見できる機会は有るものでは御座いません。「すみませぬ!、他人事ではありませんが暫し・・」。