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エッセイSP(スペシャル)

寂寥たる日々

梅津 邦博

2012年3月12日

 十勝の幻想的ともいえる雲もない空は静かにゆったりとして遙かなる彼方へと広がっている。しかしその水色の大空は、下界に対して何かの秘め事を孕んでいるふうにも見えてならない。天空というものは悠遠の昔からそういうものなのかも知れない。
 天地開闢以来、万象も人も浮沈の波というものがあり、良いときもその逆もあるのが自然界本然の姿ではないか。したがってある日、思いもよらぬことに遭遇する場合もあるのだ。なんびとといえどもその運命に抗うことなどできない。
 神在月の末日、ぼくはMRI検査を受け、思いがけないことに「脳腫瘍」と診断されて衝撃を受けてしまった。鬱蒼とした森に閉じ込められたみたいで不吉さにつきまとわれていた。「負」を生じたということは、そういうものを抱えなくてはならない何かがあるということを意味しているのではないか。いっさいは必然にして偶然なしなのだ。
 後日、再検査。「良性」と言われ、以来少しずつ気分は晴れつつも、気持ちの底では冥さと怖さがある。あきる野市在住の童話作家森 忠明氏から丁重なるお見舞いが届いて恐縮した。文面には「無数にある病の中で、聖なる、そして最高級の病に御縁があったとのこと─」とあった。なに言ってるのかと思ったが、携帯で彼は「あなたね、大作家や大哲学者がなる病だよ」とのたまわれた。妙な関心のされ方で、その物言いの声音は何本かのクレヨンカラーの色合いを感じさせた。ぼくとしては変な嬉しさが二割、苦笑いが一割、あとの七割は文面に関係なく参っているというのが本当のところなのだ。同じになど考えてはいないが、あのドストエフスキー(一八二一─一八八二)はもしかして脳腫瘍だったのだろうか。
 二月十六日に手術と決まった。この三ヶ月半というものはぼくにとって「寂寥たる日々」だった。日常において起こる出来事というものはなにほどのことでもないと思ってはいるのだが、しかし生死に関わる身にしてみれば、現実のあらゆることは非日常に感じられて多感にもなってしまうのだ。
 仕事をはじめとしていろんなことがある。たいしたことはないとしても、でもその一つひとつのたびにかなり意識してしまい、疲れを覚えていた。車の運転も控えなくてはならず、出かける際は歩いてゆく。その歩きがいつもよりかなりおそいペースになっている。視界に映る街並みの光景などすべりつづけ、極寒にあって頭の中はボーッとし、雪原をあてもなくトボトボと歩いているふうなのだった。 あれもこれもと揺れていては身が持たない。寂寞として沈んでいる場合ではない。どうあれ、明日もまた新しい一日なのだ。時も季節も大いなる摂理に則って進んでいるのだ。すべては粛々と過ぎてゆくのだった。
 手術は成功した。やがて早春の陽射しの下、ぼくは家に帰って行った。これで終わったわけではなく、これからも物事の意味を考えてゆかなくてはならない。

◎プロフィール

自営業。文筆家。著書、銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。

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