No.1,029
2012年3月 5日
そう言えば、今年の2月は「うるう年」で29日までありまして。
私の身近にも2月29日生まれの人がおりますが、4年に一度、オリンピックの年にしか誕生日があらずに幾つになっても「まだ(ん)才だよー」と、おどけていますが実際の戸籍上は親の配慮により3月1日付けらしく。元より昔は戸籍上の生誕日は必ずしも正確ではなく、かなりいい加減と申しますか大らかと申しますか、「大たい」、ってなものでしょう。
私の父親にしても、ごく数年前に市役所の戸籍課から連絡あり、誕生日が違っていたと二日早められたとの事でして、後期高齢者になってからそんな訂正を受けても「何のこっちゃ!」と。私にはやや暫く経ってから耳に届いたものですから、取り敢えず「異議申し立て」を唱えていませんが、「何のこっちゃ」と。
まあ、誕生日から追っていく「占い」も多々ありますが、そんな程度のものです。占いなんて「良い事」だけ信用して聞き流し、深入りしてはいけません。
もっとも、占いにすがる状態の方はその時の現状には「追い込まれている」現実があるはず、そしてその負の状態の人々を待ち構える悪徳な占い業者も事実存在。そんな落ちている状態の人には一部の悪徳宗教団体も手ぐすね。「需要と供給」、てな単純な構図で収めてはいけません、最近も未納によりライフラインを止められた御宅で衰弱死された方々の報道が続きましたが、お役所も基本的には「受け」ですが、きめ細かな能動的察知も望まれる世。
向こう三軒両隣から町内会、と、かつての地域の付き合いを否定して「私の事は、ほおっておいて!」、無関心無縁社会が広まった末も、1年前の大震災後は手のひら返しやたらに「絆、きずな!」とベタベタにすがっているが、・・・それも自然の流れで致し方ないのでしょうが。押しては返す波が如くに、世相は行ったり来たり。
短い人間一人の一生、の中にさえ「ある出来ごと」、それは病気であったり様々な挫折、を機に無言で反省させられる。この無言、て処に全ての意味があり、人に説教され反発する外の世界。個人も社会もね。
話を戻しまして、ワイドショーで持ちきりのオセロ中島知子。自称占い師の女性に洗脳され共に引きこもり、らしく家賃未納訴訟に無期限休業中。おそらく数年前の男女関係問題から、精神が落ちた状態の彼女に自称占い師が寄生虫化してしまったのだろうか。