No.1,032
2012年3月26日
穏やかなる日和の三月、日曜日のことでした。
お昼を少し過ぎた頃、ここ数日、生命力が落ちている「御人」の付き添いに病院へと向かった。何時もの様に立ち入る病院玄関、院内は普段と違い日曜日ゆえに人影は無く、ガランとした表情ながらも来慣れた安心感を受け、階段を上がりいつもの21X号室へと。もうこの病院へ面会に通い出して、じきに、三度めの櫻が咲く頃だね。室内に入りカーテンを少し広げベッドに横たわる人の顔をのぞく。目は宙を見つめているが、何時もの様に残念ながら視線を返す事も、声を返してくれる事も、無くなってから一年位経つだろうか。それでも「来る度に」息づいていてくれている幸せ感に、大きく包まれるのは「一つの命」の存在の無限の力だ。ただ傍に寄り添い、手を握り、時折話しかけてみる。そんな時間が日々を送る安らぎとなる一方、離れていると何時どこに居ても「急変を知らせる電話のベル」におびえ携帯電話を片時も離せない日々、もまた現実。
始まりは数年前、時計を指差しては「今、(ん)時になっているよ」、日めくりに顔を向けては「(ん)日になっているよ」と、不思議そうに何度も何度も問いかける様に。不思議そうに、が、やがては不安そうに。そんな異変が痴呆症特有の反応と知るまで少しの時を経てしまい。「アレだけ頭の回転が効き、ウイットに優れた人」であっただけに現実が受け入れられない弱さ、が私にはあったのだろう。
やがて要介護のレベルは上がり続け、家族介護の大変さを間近に切実に知る。ましてや「老々介護」の現実は思いもしなかった「無理」がある。これは政治の問題だ、各家族で人並みの生活を維持して日々を過ごせる「基本的人権」を超えよう。 こんな事柄は介護に限らず、世の中には沢山の「理不尽」が人々の背中に乗っていよう。そこに居る人々が堪らずに「声」を上げて政治へ訴える構図、が身近に感じる。現在は東北大震災、原発事故による理不尽を受けた方々が主人公結局は「金銭」に置き換えられるが、資本主義って。
そして病院がロックされる夜九時に、「それじゃ又、明日ね!」、って薄目を開けている方向の視線に手を振り、頬を撫でて帰宅した。
日付が変わったその、少し後に携帯電話のベルが鳴る。駆け付けたべッドには、未だ温かいが心臓を停止した安らかな顔が横たわっている。午前二時「老衰」。本当に長い間有り難う御座いました、「お父さん」。