No.1,033
2012年4月 2日
近所のお花屋さんが「初櫻どうぞ」、って未だ桃色つぼみですが沢山付けた小枝を数本持って来てくれた。「へぇ~、何処の櫻でしょうか?」って問いますと、その娘さんはお母さんに正確には教えてもらっていなかったらしく「本州の・・」って上目づかいで考えていましたが。
そんなわけで、ボクの座る目線の先には、ほんの少しずつピンク色が増えてくる大自然が「すました顔」して鎮座しております。はたして何処の県のどんな風景の中育てられ、何処の市場を経由してボクのお部屋まで旅して来たのか、そう考えると愛情さえ感じて手をかけて少しでも長い時間、元気に咲いて息づいていて欲しい、と。それは全ての生きとし生けるものへの、共通の感情なのでしょう。
人生は旅に例えられるが、寿命を迎えるまでの数十年の間には確かに様々な出会いに別れ、色んな土地での色んな日々を過ごしている。いい事も悪い事も。だが、それらを鮮明に一々何時までも憶えてはいません、逆に記憶が薄れなければ次ぎに進めない、って事なのです。人の細胞も思いのほか、短いサイクルで全て入れ替わっている。
世の中に存在するもの、例外なく全てが瞬時に変化している。肉体も精神もね。
そんな世の中でも「永遠のナニソレ」とは使いたがるが、人は信じるモノを持たなければ、中々平常心を持って生きていけない動物。無条件に抱きしめてくれる親のごとく対象を求めて右往左往しては傷つき、悲嘆に暮れたりもする。母性本能下を離れても、愛が欲しければその様な姿勢を発進する努力を必要とする。ただ、無い物ねだりで周囲に不満をぶつけてもそれは5歳児迄だ、それ迄の権利だ。そして、だから、自立する強さを養う必要がある。 「強くなる」にはまず「逃げない事」だ、ここがスタート地点。それぞれ事情を聞けば千差万別で責められないケースも多いけれど、それもこれも含めて意識して「自立」の道に光を見て欲しい。障害を抱えている方々は別ですよ、充分な社会的サポートの充実を訴えます、けれど根本精神は共有して欲しい。その上でクヨクヨせずに「人生を全う」して欲しい。全うの意味は自分の物の考え方のクセを知り、その上でブレーキを過分に踏み過ぎずに。
私も、この年齢になりも父を亡くしたせいか「自分の人生のスタートライン」へ辿り着いた意識が強く湧く。
「さあ春だ!、みんなで散る事無き、人生のお花見へ繰り出そう!」。