村山由佳さんへの手紙
2012年4月23日
作家の村山由佳さんに偶然会ったのは六年前だったろうか。新得の「ウェスタンビレッジ」にジャック及川氏を訪ねた時だ。そこに女性二人が野外乗馬を終えて顔を出した。その一人が小説家の村山さんだった。及川氏が「こちらは、新聞にコラムなどを書いて本も出した吉田君で、うちのデザイン事務所で働いてもらったスタッフでした」と紹介してくれたので、食卓の椅子に加わった。村山さんは忙しい仕事の合間に遊びに来ていたもので、彼女らの会話を邪魔しないように、さりげなく話した。
その時、私は作家の中上健次氏について語った。彼は締切に追われながら北海道に逃避し札幌のすすきので友人作家の小檜山博氏と飲んだ。小檜山さんが。仕事大丈夫か、と心配した。だから逃げてきたんだ、と言った中上氏は泣きながらカラオケを歌った……村山さんも何か気分転換に北海道に逃避してきたのですか、と私は半笑いで訊いた。友人と休みが合ったので来ました、と述べていた。彼女はやや小柄ながら肌が白く、笑うと頬が上気して赤らんだ。感受性の豊かさが表情に出る可愛い女性だった。
後でわかったことだったが、当時の彼女は離婚の前後らしく、千葉の鴨川での馬と夫との牧歌的な暮らしと訣別したややこしい時期だったようだ。他人の私生活に関心はないが、過去のしがらみから脱皮したからこそ彼女は「ダブル・ファンタジー」を書けたと思った。
男女の性愛とは、まさに魅惑的なファンタジーだ。この本は身内にはヒンシュクらしいが、文学界では好評で、なんと異例の三つの賞を獲得した。村山氏は「文学はモラルの規範とは遠く、むしろ自由でなくてはならない…」と私につぶやいていた。その本を読んでそれが理解できた。
その後、彼女は「放蕩記」「花酔ひ」と書いた。まさに「ダブル・ファンタジー」
をさらに深化させた。求める心を忌むべきものと抑えて、けれどそのじつ探しつづける男と女の悦びを描きつづけた。
前夫とは文学の共同作業の部分があったと述懐している彼女が、離婚でそういう干渉がゆるくなった。そして、母が娘である由佳さんに品行方正な女を強いてきたが、その母が認知症になり、あらためて母子との関係を遠慮なく書くことができたと文芸誌で記していた。彼女は今まで抑えてきた性癖を解放し、「おりこうちゃんでいてね」の母の縛りから解かれ女として羽ばたいたのかもしれない。
自らの闇を見つめた彼女の文学的成果は大きい。精神分析のフロイトをひきあいに出すまでもなく、家庭や社会では、性を罪悪し闇に押し込める傾向が強いが、エロスがあるからこそ人は産まれてきた。功罪の源ともいえる性は、だから取扱い注意なのかもしれない。
あの日の村山由佳さんの笑顔を思い浮かべながらこれを書いた。
◎プロフィール
冬の間は、部屋で読書が多かった。カフカとチェーホフの人生を知った。いつの時代も生きるのは容易ではないと思った。