馬と暮らす男
2012年5月28日
新得へイベントの手伝いに行った。行事が終わり後片付けをした。新得に来たら、ぜひ会おうと考えていた人がいた。狩勝高原三合目で「ウエスタンビレッジサホロ」という乗馬クラブを経営するJACKだ。和名?はあるがジャックと名乗る、年齢不詳の男だ。(自然人間に戸籍年齢は意味がないのだろう)
彼が住む北隣は、旧狩勝線の新内駅でそこに本物のSLが設置してあり、エコトロッコが走っている。それらに目をやりながら駐車場に車を停め携帯電話でアポをとると、彼は外出していた。車でラジオの野球中継を聴き待っているとジャックが帰宅した。
すぐに馬舎を案内してくれた。四日前に子馬が産まれたばかりだ、と彼は言った。柵の中の栗毛色の親子馬を眺めた。かわいい子馬は脚がまだ細い。スタインベックの小説「赤い子馬」を思い出した。馬のほかにアヒルと山羊も飼っていた。家の前には夫人が手入れしている花壇があり、その東側には野菜畑があった。野菜畑には馬の堆肥を入れているので、おいしい野菜が実る。ジャックは馬の飼育や世話に追われる生活である。馬小屋や柵など、すべて手作りである。
「本職に頼んだら経費がかかりすぎるからな」とジャックはテンガロンハットをかぶり髭をたくわえた顔で笑った。この冷え込んだ経済で乗馬や馬に関する産業の需要も減った、とも言う。
「SLを見てトロッコに乗る人はいても、その帰り乗馬をやるっていう人は少ない。乗馬のニーズは違うところにある」とのジャックの説明に私はうなずいた。彼と話しこんでいると馬があちこちでヒヒーンと鳴いた。「ご主人様よ、餌くれよ」と催促している。訪問が夕刻になったので、恐縮して帰ることにした。
もともとジャックの本業は商業デザイナーである。二十五年ほど前から彼の趣味は乗馬で、十勝のホーストレッキングの先駆者の一人だ。十七年前、新得でアメリカ式のレンガ建築を見つけて移住した。当初はレンタルだった五頭の馬が、現在は十四頭も所有している。「外乗で酷使したら馬も荒くなる。半日使ったら後は休ませる」とジャックは言う。
帯広で彼が事務所を構えていた時に、私は入社した。価格破壊も競争の激化もない時代だった。私は謙虚に主従関係を意識してふるまった。それでいて率直に意見を交わす関係だった。彼と沖縄や名古屋へ行った旅は楽しかった。沖縄ではスキューバーダイビングをやり、名古屋球場では広島対中日戦を観戦した。人は尽くしても裏切られ、嫌な思いをすることもあるが、ジャックとは今も縁が切れていない。彼とは仕事や遊びで三十数年前から多くの思い出を共有しているのだ。
帰りの車で、それらを思い返していると、胸にじわっ〜と感謝の念がこみあげてきた。思い出は過ぎ去ってから時を経てジワジワと発酵する。それは人生の宝物だと思った。
◎プロフィール
十勝開拓時代、依田勉三は馬は暴れて危険と馬導入を避け、鈴木銃太郎は畜力農耕に馬を頼った。