希望のスクリーン
2012年6月11日
「映画」を観るのに、テレビやDVDなどでというのはぼくにとっては論外なのだ。つまり大きなスクリーンで迫力ある作品を観ることができるというのはそれほどに魅力があるわけで、たとえ壁に罅が入っていたりシートがちょっと破れたりなどがあってもそんな程度のことはたいして気にもしていない。座る席もだいたい決まっていて指定席みたいになっている。席に座り、そして照明が一つひとつと消え、やがてスクリーンに明かりが映し出され、いよいよ映画がはじまるという気持ちがグッとなってゆく高揚感がたまらない。「映画館で映画を愉しむ」ということが一番大切なことだと思っている。
平成十年代前半までの帯広には、何軒もの「映画館」があった。キネマ館、キネマ2、キネマ5、プリンス、グランドシネマ、テアトロポニー、シネマアポロン、帯広シネマ、帯広ミラノ座と、すでになつかしさを覚える。それぞれにいろんなタイプの洋画作品を見ることができて、ぼくは年間八十本くらいは鑑賞していたのだった。しかし時代はシネマコンプレックスへと変貌し、わが街にも登場するというので市内にあった映画館は次々と閉館し、プリンスだけが残った。そこを二〇〇三年十一月、地元の熱き映画人が借り受け、「シネとかちプリンス劇場」としてスタートさせたのだった。
それは大変なことだろうと思う。思えばいくつもあった劇場は厳しい営業だっただろうが、「映画文化」という面もあって開館しつづけていたのではないかという気がしている。
人は人生においてさまざまな作品を知ることも大切であるだろう。街にあって、季節にあって、それなりに作品を堪能したい。設備が立派であるかなど問題ではない。どういう作品が上映されるかが肝心なのだ。食指が動かないものには向かえない。それは旨いコーヒーや温かいスープを飲みたいから注文する、などということと同義でもあるのだ。本物の映画ファン達の背景には、人間社会における深いインテリジェンスによって構築されたカルチュアというものがあるのではないか。
そういったようなことからも、映画文化として潤わせてくれているのが「シネとかちプリンス劇場」なのである。スタッフの手作り運営で、気持ちが伝わってくる。上映される作品はハリウッド物だけではなく、ヨーロッパ、アジア方面など各国の映画を鑑賞することができて充足感がある。しかも後ろの壁棚には膝掛けがたくさん用意されてあり、寒い日などはとてもありがたい。なんといっても映画館という匂いにあふれ、映画に対する想いが劇場内から窓口を通って階段を降りた入口ドアのあたりに満ちているのだった。
十勝の映画文化の本流は「シネとかち劇場」なのだ。雨にも風にも雪にも不況にも負けず、上映しつづけていってほしい。
◎プロフィール
自営業。文筆家。著書、銀鈴叢書『札内川の魚人』
(銀の鈴社)。