No.1,048
2012年7月23日
大津市の「いじめ事件」は警察の捜査が入り、自殺した中学二年男子の親御さん側と市側の法廷闘争は一転、世間の大注目を浴びる事態に、強気であった大津市サイドは気後れし、和解を模索。
真実を問うは「自殺といじめの因果関係」でありますが、追々警察による広く生徒や父母への聞き取りに、マスコミ取材で浮かんできましようが。それにつけても実態が今一つ良く分からなかった「教育委員会」、この事件により広く認知されていますが、元より大阪橋下市長が敵視してやり込めているのを見聞し、「橋下さんは子沢山であるからにして、色々と彼の性格上からも親の教師に対する不満、ひいては教育委員会へ日頃から鬱憤が溜まっているのであろう」、と教育委員会叩きを何とはなく聞きづらく感じていたが。
さて、この度の対応を観ていると教師達の上に収まり、それこそ「教育的指導の立場」足るには全国的に権限、人選、報酬と根本から「教育委員会とは何ぞや?」、と見直し図るべき。
そして「いじめ」に戻りますと、子供の頃を思い返せば心当たりはありますよ、数人の顔も浮かびますよ。当時の心情をありのままリアルに復元は出来ないが、根っこは差別心でしょう。「人は皆それぞれ違う存在である」、を肯定し受け入れる心の育成、って言うのかな、でもこれがとても難しい話なのだけれどね。遺伝子、環境、から生物は様々に変容して行きますが、自分の価値観に沿わない者は価値無い者、と排除対応してしまう。
その辺の「均し」に教育、道徳、宗教なんてのが必要なのでしょうが難しいね、たやすければ戦争も無くせるね。その上で法律を定め罪を犯せばは刑罰、は確かに抑止力には為りますが、子供の揉め事にも抑止力、がハタシテ?。そして親の責任の範囲も。学校もどの組織でも一緒ですが、元来の「事なかれ主義」からの意識改革を社会で進める事ですね。
続いて意識改革が見えぬ電力業界。 やおら政府の原発依存度に関する意見聴取会が始まりまして。ゼロか少しかもうちょっとか、の三択で急ぎアンケート取り、会での発言者募り仙台と名古屋会場で始まるも、地元の電力会社社員が抽選され発言「放射能で死んだ人はいない」と、平気な顔で原発擁護する姿に「オドロキ」。この期に及んでこんな会でこんな事しているとは、政府も担当行政も電力会社も「金曜日の再稼働反対一般人デモ」の薄気味悪さを感じていないのかしら。