夏の甲子園へ
2012年7月30日
全国高校野球北北海道大会が13年ぶりに帯広で開催された。地元の白樺学園、帯広三条などの試合が組まれこともあって12年前から固定された昨年の旭川開催の入場者数を2割超えたと報じられた。大会運営は大変と想像するが、また近い将来の帯広開催に期待したい。
北大会の選手や関係者の宿泊利用もあって帯広などのホテルは満室状態だったと新聞は報じていた。私はそのホテルに併設する温泉のフロント業務をしながら旭川工業高校の選手の姿を見ていた。
夜のミーティングが終わって、温泉に入った後で、彼らはロビーに出てきて、スポーツ紙を読んだり、自動販売機で飲料水を買っていた。あれよあれよという間に、旭川工業高校は勝ちつづけて地元の三条高校をコールドゲームで破り、北大会の決勝に進出した。
その前日の夜、スポーツ紙を囲む選手たちに近寄り、眠れるかい、食事おいしいでしょう、と声をかけた。帰りかける選手のひとりに、甲子園に行けること祈っているよ、と声をかけると、ぼくはファーストを守ってます、と返事をした。一塁は栗栖大輔君で、背番号3だ。
遠軽と旭川工の決勝戦は私の勤務が運よく休日で、ぜひ応援に行かなくてはと思った。帯広の森球場に試合開始の1時間前に着いた。
強打の遠軽打線を旭川工のエース官野峻稀投手が最高の力を発揮し、何度かピンチをしのいだ。ひいきの栗栖選手は満塁の好機を作り、躍動感ある守備を見せていた。柳川選手の頼もしい背中に声援をおくると、打球が高くバウンドし、柳川選手は1塁に駆けこむ間に3塁ランナーがホームを踏み貴重な追加点になった。9回裏の遠軽の攻撃は底力を感じさせ、勝敗はどちらに転んでもふしぎではなかった。旭川工のピンチに官野投手を捕手や内野陣が取り囲んだ。何を語っているのだろう。1点はとられてもいいが逃げるな峻稀、そんな言葉にも思えた。接戦を制し2対1で旭川工が優勝した。
観客が帰宅を急いでいたが、私は表彰式も見ていた。メダルをかけられた旭川工の選手たちの誇らしげな行進がつづく。3塁のフェンス際に選手たちが戻ってきた。私は背番号3番に向かって、おめでとう、と叫んだ。それを契機に帰る気になった。
通路で選手の母親なのか単に応援者なのか、感激の面持ちで手をとりあう女性たちがいた。よかったね、と私は声をかけた。実は旭川工業が泊まったホテル関係に勤める者ですが、選手たちと接して声をかけていたので他人ごとではないと応援にきました、と私が言うと、そのふたりの女性は目をうるませて、子どもたちがお世話になりました、と頭をさげたので逆に恐縮した。
青空の下、白球をひたすら追う若人たちの熱戦に感動していた。お礼を言いたいのは私だった。
◎プロフィール
この夏はロンドンオリンピックと8月の甲子園での旭川工業の戦いに注目します。