鮮魚を買う
2012年11月12日
さる大手ショッピングセンターの鮮魚売り場で兄ちゃんや姉ちゃんが魚を下ろすのを遠目に見ていると、なんだか理科の解剖教室にも見えておもしろい。
周囲のステンレスの置き台には氷が敷き詰められ、たくさんのプラスチックの網皿にはそれぞれいろんな種類の魚たちがおとなしくシタッと並んで寝かせられていた。台の奥から水蒸気の煙がただよっていて、いかにも魚たちの趣をかもし出して買われるのを待っているではないか。(青魚系は、血がきれいになるし、オツムもヨクナルらしい…)なんて思う。
ひと昔前までは魚をほとんど食していなかった。いや、ホントはもっと別なところに理由があった。それは子供の頃から夏になれば海や川に潜って魚たちと一緒に泳ぐのが楽しみで、そのために彼等からは「魚人」と言われているのだ。言うなれば友達でもあり、したがって魚を食べるなんてことは出来ないのだった。とは言っても年齢とともに健康のためには食べなくてはならないと考えはじめ、いつしか少しずつ食するようになっていった。そのことで後ろ暗さがあるのだが。
とにかく前屈みしながら鰯、秋刀魚、鯖などを品定めしてみる。銚子沖産の鰯があるが、釧路沖産のもあるし石川沖産のだってある。南の方のは水温も高いだろうし、こっちの北の方のは低いから身が締まっていて旨いだろうな、とかなんとか思ってみる。実際どの辺りで生まれてどういうコースで泳いでいるものなのかはわからないけれど。眺めつつもときおりネエチャンだかオバサンだかを見上げる。眼が合うと、「どうですか、それおいしいですよ」と声がかかり、曖昧に頷く。
考えてみれば、男と女とでは魚に対する雰囲気が違うなと思った。もちろん売り場における総体的な主権は男にあるだろう。男はやはり魚屋のオッサン然としたガンコさを秘めた自信のようなものとおかしみも感じさせるふうなところがいい。それに対して女の場合は家庭の台所の延長にでもあるかのような割りとお母さん然としてテキパキとしたところがあるが、その魚を見るときの表情はどうも男を見るのと同一線上にあるように思えてならない。女であるがゆえにその眼には現実的なシビアな捉え方があるのを感じとれるのだ。
釧路沖産の鰯三尾で三百九十円の値が付いている皿を持ち、魚たちの眼を見たら(よろしくお願いします)という神妙な表情をしていた。それを側の兄ちゃんに渡した。イケメンの彼は魚の気持ちが乗り移っているのか、顔の白い肌が上気していてクールな眼で「ありがとうございます」と言った。
◎プロフィール
帯広在住。自営業。文筆家。
元、北海道新聞十勝版「防風林」執筆同人
プラスワン「エッセイスペシャル」執筆同人。
著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。
趣味=素潜り、映画、旅、風景鑑賞