船のピアニスト
2013年1月14日
十二月、名古屋で用があって苫小牧からフェリーで往復した。一万五千トンの純白の船体にブルーラインが一周して描かれた「いしかり」は、夕焼けの天空に浮かび上がった黒いシルエットの伊勢湾岸自動車道を背景に滑り出した。ゆったりと湾内を進み、太平洋に出ると日本列島に沿って北上してゆく。
大きなソファにでも寛いでいるような気分の船内で、レストラン・バイキングディナーの後にプロムナードテーブル席で過ごしていた。闇の時間の流れのなかでいろんな思いが湧き上がる。とてつもない大海原は万象の巨大さの一端を知らせてくれて、ときおり自分の生きている人生の位置がわからなくなりかけるもどかしさもある。言葉にもならない思いが膨らんでは動いてゆく。波の揺れや海上を取り巻く風などと生きていくことの不安とは同位にも感じられる。器用さがなく、しょうもない生き方をしているなとも思う。
ロビーのシアター案内板には、二十時から「ジャズピアノライブ」が催されるとあって出かけた。船尾にあるシアターのステージは左端で円形に張り出してグランドピアノがあり、鍵盤上部台にタオルと水の入ったグラスが置かれていた。
奥から白人男性のピアニストが登場した。年齢は五十代か、長身で頭は金茶系ショートヘアをしている。表情は、どこか謙虚で含羞んでいるふうな面持ちに人間的な魅力を感じさせられた。演奏がはじまった。それは、柔らかく強くそしてきれいな音であることに心地好さを覚えていった。一曲終わると彼は、英語で「ようこそ、太平洋フェリー『エコノミス』ヘ」と挨拶した。次に流暢な日本語でジャズ、家族、故郷のことなどを語り出した。
「わたしは、ジャズしかできない…」
と、ピアノを見ながら静かに言った。 その一言がいろんなことを意味していて、ぼくの耳には「ジャズで人生を生きていく以外にない」と聞こえて重いものがあった。
彼、「ダニー・シュエッケンディック」氏は米国アトランタ出身である。少年時代からジャズに親しみ、独学でピアノのレッスンをはじめる。そのご物理学者をめざして(UCB)カリフォルニア大学バークレー校で応用物理学を専攻するが、なんとジャズへの想いが募って中退し、仲間達とセッションを重ねてゆく。やがて二十六歳でジャズピアニストとしてプロデビューし、米国西海岸、ヨーロッパ、ジャパンツアーと各地で高い評価を得る。名古屋のジャズクラブより演奏招聘を受けて日本での活動を開始し、日本在住となって今日に至っていた。
彼の弾いている姿からは、生きてきた人生の雰囲気のようなものが伝わってきている感じがした。知性的な表情などがあいまってか、夕暮れの海や夜空の星々が、そして故郷の家族や街が、鍵盤上に浮かび上がっているような気がしてならない。過ぎし日々の想いが漂っているのかも知れない。
ぼくにとって魅惑的な船の夜のピアノライブだった。
◎プロフィール
帯広在住。自営業。文筆家。
著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。
趣味=素潜り、映画、旅、風景鑑賞