No.1,074
2013年2月11日
所属するバスケット部の顧問からの体罰により心折れ、自死してしまいました大阪の高校生事件以来、全国から「実は我が学校でも・・」の、リークから発覚し騒動がより大きくなるを回避作戦発表連日下、世間は自身の経験を踏まえての「体罰」に対する見解を語り合ったりしていますが。一切合財ダメ派の筆頭に元巨人軍の桑田氏が祭り上げられ、一方では名を上げた一部の選手からは「鉄拳制裁と共に鍛え上げられ今の自分が在る」派、とに。
私自身、振り返れば授業中とか部活中に手を上げられた教師の顔、数人は忘れもせずその場面と共に記憶に刻まれております。中には未だに理由が理解為らなくも有り、いつか機会有ればその師にワケを尋ねたい件も、ね。
体罰を受ける理由が本人には明快に納得ゆき、かつ、殴られながらも「ヒリヒリする愛情を感じる」って言うのも確かにある。本人の為に泣きながら(心で)殴る、みたいな。一方で、明らかに「手を上げる方の虫の居所がたまたま悪いのだな」、なんて到底理解できないケースもある、コレは論外だけどね。
さて、前者のケースは一般に「愛のムチ」とか言って「親や聖職者」には近代、さして抵抗なく委任されていた。当たり前に世の中には「教育的指導」として他人の子供の頭を叩く光景も散見した。今となっては懐かしくもほのかな「昭和の風景」の一部になってしまった、って事。「時代」が変わり、なんて事ない市民生活の一場面にも裁判の様な「白黒、理由と結果」を全ての言動に求められる、平成の社会になってしまった。さてさて、なってしまった以上は、この体制の上で如何なる社会にしますか、が少なくとも旧体制をも知る大人の出番。考えてみれば最新の見出し、オリンピック女子柔道選手達の監督他による、暴力とハラスメントに抗議しての昨年来の抗議が表面化し、関係諸氏辞任や何やらで揺れておりますが、これも地続きの現象。
先の大学新設案件時、当時文科大臣田中真紀子氏への、今回の桜宮高校事件を受けて教師一掃を表明した橋下市長への、当該現役女子校生が顔から下だけの映像とは言え、テレビのインタビューに答えて現役大臣に市長へと、「貴方達はわかっていない!」旨のドウドウたる主張発言態度を見ていると、同じく「平成っ娘たち」の柔道女子、「偉そうな組織の親父さん達、何ぼのものぞ!」、も時代を受け入れれば納得か、な?。