アンタ...だ
2013年4月 1日
午前五時前。アチッ…と眼が覚め、ア、やってしまったな、と思った。湯タンポの上に片足を乗せたままになっていたようで、蒲団のなかで膝を引き上げてちょっと手で触れてみたら、濡れたものがあった。水脹れになっていたのが破れたらしい。それにしてもかなり熱い。蒲団を捲くってみると、四センチくらいの大きさで真っ赤になっていて不気味な感じに見える。低温やけどになってしまった。これはほっといても大丈夫なんだべか、と思う。
顔を洗った後、オフクロに話したら、
「早く病院へ行っといで、腐ってしまうよ」
え、くさるって? ジワリと緊張感が生じて朝メシが終わると皮膚科へ直行した。
メタルフレーム眼鏡の実に静かで、か弱そうな四十代の医師は、患部に顔を近づけてペタリと見るような視線で診たのちに、か細い声で、
「消毒して、薬を塗って、包帯して下さい」
「え、あの、大丈夫なんですか?」
「ええ、とにかく消毒して、薬を塗って下さい…」
いい歳してこれくらいのことで、とでもいうような感じに見える。
処置室の方で看護師が、消毒して軟膏を塗ってガーゼを貼ってテープで止めてくれた。正しい応急処置の実習みたいなのだ。
「あの、あれかい…消毒して、軟膏をそのぐらい塗って、そしてガーゼもそのぐらいの大きさに切って貼ればいいんだね?」と確認した。
気になって繰り返し確認してしまい、小学生みたいだ。なにせ神様から親からいただいたこの身体を、切ったとかヤケドをしたとかなんてことが内心気になるのは正常な神経ではないか。
何年か前、友人のTと二人で日本海浜益の海岸でキャンプを張った。オッサン二人のキャンプは、周りから見ればどこか異な感じにも見えるかもしれない。三〜四人用の小さなテントの前に毛布を敷いて折り畳みの座卓にラジカセを置き、近くで彼は昼飯を作っていた。
飯盒メシと豚汁と梅干で済ませると、ぼくはナイフでりんごの皮むきをする。ところがうっかり人差し指の先を切ってしまい、血が風船みたいに膨らんできて慌ててティッシュで押さえたが、なかなか止まらない。バイキンでも入ったらタイヘンだなとTに指先を見せた。
「これ大丈夫だべか…止まんないんだよな、血が」
するとアポロキャップを被って横になりながらグレン・グールドのCDでバッハ「パルティータ」を聴いていた彼は、眼鏡の奥のギョロリとした眼がぼくの顔を捉え、
「アンタ、ぼっちゃんだ…」
あきれた怒りを含んだ眼をして言った。
「何を言ってるか、こう見えてもオレは海で堂々と泳ぐ海洋大国日本男児だ。見くびるなよな」
と、遠くの青い海を見ながらチリ紙でしっかりと指先を押さえていた。
◎プロフィール
帯広在住。自営業。文筆家。
著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。
趣味=素潜り、映画、旅、風景鑑賞