ふたたび歩き出す
2013年5月13日
十五年ほど前のことだった。「プラスワン」にいろんなつたない話を書いていたが、いつしか書くことが大変になってきた。もうこれ以上やっても無理だし迷惑をかけるだけだからと思っているうちに、何を書いたらいいのかまったく浮かばなくなり、とうとう書けなくなってしまった。
イイフリコキだったのだ。なかなかやるじゃんなどとウヌボレていたのだな。このままでは自分はますますダメになってしまう、なんとかしてやり直さなくてはならないと思っていた。
毎晩、街へ出かけては酒浸りになり、しょせん自分はこんな程度の人間だったのだと落ち込んでいた。
プラスワン編集長富田友夫氏から年賀状が届くたびに、
「書いてください。いつでもスペースを空けておきますから」
と途切れることなく応援して下さり、ときおり会ったときにもやはり「書いて下さい」と言われていた。
なんとかしなくてはと思っていた。書きたい、書かなくてはならない、しかし気が動いてくれないことにはペンが執れないのである。その当時に出会った作家の森忠明氏から、
「一度覚えたことがもう出来ないなんてことはないんですよ。書けないというのは休みをもらって栄養を補給しているようなもので、そのうちまた書けるときが来るから心配しなくていいよ」
ぼくは、書けないのは文才がないからだとずっと思っていただけに、信じられなかった。
とにかくまったくペンを執ることなど出来ない日々がつづいていたのだった。
そうして五年ほど経った頃の五月の連休後、富田編集長に所用があって訪問した。応接室で、彼は話の途中から軀を斜めにいくぶん前屈みの上目遣いで、
「書いて下さい。元々この企画はあなたから初まってスタートしたんですから…」 と、低い声で畳みかけるふうにして言った。ぼくは緊張して背筋がピンと伸び、背中に板を立てられたような気分で帰って行ったのだ。
初夏を迎えたある晴れわたった日。そうなのだ、書きつづけねばならない、それが生きてゆくことなのだ、と強い思いが立ち上がってきた。
座机の下に置きっ放しになっているアピカの原稿用紙を取り出すと机上に置き、万年筆のキャップを外した。
大きな鳥がゆっくりとはばたきながら離陸するように、きれいな水に移された魚が生き返って泳ぎだすように、ぼくはマス目に一字一字と文字を埋めていった。
そうしてふたたび書きはじめていったのだった。
◎プロフィール
帯広在住。自営業。文筆家。
著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。
趣味=素潜り、映画、旅、風景鑑賞