なぜ・・
2013年5月20日
福岡空港を後にツアーバスは、古の国際都市であった筑紫の地を走る。最初の見学地は天神さまと親しまれる菅原道真公を祀る太宰府天満宮。全国に数多ある天満宮の総本宮で、道真公の墓所の上に社殿が造営されていると言う。
参道の両側に軒を連ねる美味しい誘惑に目移りしつつ「付いて来て下さい〜」とガイドさんの声を追い駆けた。ザワザワした人の波に揉まれ、過去・現在・未来を表す三つの橋を渡ると本殿まで長い列が進む。参拝を終え清々しい気持ちで宝物殿を目指す。このとき、今までにないワクワクさを感じていた。
館内に入るとガラスの中の白い具足が目に留る。菅公と鎧が何の関係・・?と思いつつ近寄った途端に「あっ!」と声上げてしまった。静寂の中で人が怪訝そうにこちらを振り返る。暫し呆然と鎧の前に釘付けとなり身の震えを禁じ得なかった。
鎧の足元には「白糸威具足 伝織田信澄所用 桃山時代」と標され、添え書きに「織田信長の甥、織田信澄の所用と伝えられる。甲冑は白糸縅・水牛の抱え角の筋兜で、吹き替えしに織田家の窠(木瓜)の定紋がある」と読めた。詳しく訊きたい衝動を抑え、展示図録と絵葉書を買いバスに戻る。
織田信澄は明智光秀の婿であり、信長連枝衆の五番目に数えられる逸材として興味ある人物となっていた。先年の琵琶湖めぐりの際は、安土城の屋敷跡を始め領地の大溝城と所縁の大善寺、そして終焉の地となった大阪城千貫櫓を訪ねた。遠く離れた太宰府天満宮になぜ鎧があるのか想像するだけでも心が躍ってくる。
市政だよりに「なぜ天満宮に奉納されたのか、由来は分らない」と載っていた。天満宮に問い合わせると「こちらでも由来は不明」と電話口に出られた方の話であった。「ここで巡り逢えたのも何かの縁ですよ」と鎧の詳しい状態なども教えて貰う。
名前を伺うと「道真公に従い大宰府に来た側近の末裔で味酒です」と言われ「うまざけ、みさけ、みさか」と呼ばれる味酒安則さんと識った。天満宮のホームページには、味酒安行公が菅公の亡骸をこの地に埋葬したことが天満宮の始まりと記されていた。
味酒さんは禰宜の要職に就かれ、また安行公を祀る安行神社の社司を務められている傍ら日本酒の話も講演されていることが解った。日本で最初にお酒を造ったのが味酒さんの祖先にあたるそうな。
千年の時空を超え学問の神様から背中を押され、鎧の由来を探ってみたい気持ちが俄然と湧いてきた。
◎プロフィール
〈このごろ〉仕事で道東~道北を回り、終の棲家が道央となった。そして、函館・五稜郭・松前城へ。ようやく道南まで巡ったことになる。北海道は広い。