ことわざ
2013年5月27日
「ユダヤ人のことわざ」という本を読んでいると、なるほど、と感心する。「無知が支配するところでは自分に英知があっても何の役にも立たない」という。また、「真実を語ると殴られる。ユダヤ人が正しいときは、ユダヤ人はますますもって殴られる」というセンテンスは言い得ていると思う。現在も、偽りでとるつくろう所では、真実を口にすると袋叩きにあう傾向が強いのではないだろうか。
ユダヤ人のことわざでは女性をどうとらえているのだろうか。ほんの一例を引用してみる。「女の知性は飾り。男の宝は知性」女は装飾で輝き、男は知性で輝くという。「女は肉体的によいが、精神的には駄目だ」。真剣に論議する相手ではないという。
また、「かかあ天下の家では、男が子どもをあやせねばならない」ともいう。注釈するならば、女が支配している家では悪魔が召使いだ。めんどりが鳴き、おんどりが黙れば家はうまくいかない、という意味らしい。うなずきながら思い出したことがある。
若いころ、私はある医療関係の職場で働いていた。私は個室で技術的な作業をしていた。ほかの従業員は5人でみな女性だった。経営者は独身で独立したが、やがて結婚した。嫁いできた彼女は夫の経営を手助けするようになった。やがて人事にも裁量を発揮しだした。
独立当初の女子従業員が辞めてゆくようになった。欠員の補充のために募集をし、採用の面接に妻が立ち合っているようだった。接客の面があり、客へのもてなしが上手でなくてはならない。それにふさわしい女性が採用されているか疑問だった。性格的に雑な応対の新人女性がいた。1日勤めてロッカーの荷物ともども消えた女性もいた。しばしば計算を間違う女性が精算の係をしていた。やがてその女性も退職したが、次の担当者も問題だった。お客と接する窓口業務なのに、やけに愛想が悪い。周りの同僚と接するときもとげとげしい態度だった。
従業員の適材適所に疑問があったが、人事に口出しする立場にない私は、出入りが激しい職場になったな、と思いつつ黙っていた。その職場を私も辞めることになった。
今、思い返してみると、経営者の妻は才媛であったが、決して美人ではなかった。それゆえにか、経営者の妻は、採用の判断として、自分より目立つ愛想のよい女性や美人を排除したのではないかと想像している。
◎プロフィール
今年の桜の開花は、例年の2週間遅れだったが、やはり桜の花を愛でると春を祝しているかのように気持ちが高揚する。