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エッセイSP(スペシャル)

鯨人あらはる

梅津 邦博

2013年9月 9日

 

 

 彼は眼光炯炯としてかつ穏やかな人物でもある。ヒヨワでイイカゲンなぼくのような者は、彼に会うと気持ち的にもどこか居住まいを正してしまう。会えば、「オオ、元気かよ」なんてケーハクな挨拶なんてしてられない。

 猛暑も過ぎた昨秋のある日。新築した彼の家に伺ったとき、この夏は泳ぎましたかと尋ねたら、

 「そこで泳いだよ」

 「え、なに…」

 なんと彼が手を伸ばした先は「帯広川」だった。

 「あの川で泳げるの?」

 意外な気がした。

 帯広川は日高山脈の「帯広岳」の方を源流とし、帯広の街を流れて帯広神社の左側から裏手を廻ってへと合流する。川としては小さく浅くてとても泳げるなんていうところではないし、それに汚い川だった。ゴミがあちこちに散乱し、犬などの屍骸もあった。

 しかし、 それがいつの頃からか地域住民や関係団体による清掃活動が行われ、だんだんときれいになっていったのだ。

 彼、坂谷徹念氏は「順進寺」住職にして帯広仏教連合会会長でもある。広野町のほうに古刹とも言うべきお寺があるのだが、老朽化と時代の変化で市内を流れる帯広川の側に移転してお寺兼住居を新築された。

 

 「夏は忙しいでしょうけど、二日くらい日本海へ行って泳ぎませんか?」

 夏にお寺がヒマなわけはないのだが、ま、言ってみた。

 「ん、まず、そこで泳いでから…」

 有無を言わせない感がした。なんなのか、オレの泳ぎを試したいのかな。

 彼はぼくが以前に水泳指導をやっていたときの仲間で少し後輩なのだが。実力もあってどこで泳ごうとなんら気にはしていない。

 あまりにも暑い盛りのある日、法衣を脱いで河原を散歩に出かけ、これくらいならちょっとは泳げるというところがあって水に入ったにちがいない。

 「ドッボーン…シャバシャバーッ…シューッ…」

 と泳いでいるのが眼に映る。

 泳ぐとは「心水の如し」である。老子第八章「は水の如し。水は善く万物をして争わず、衆人のむ所にる。故に道にし」なのだ。

 身体は一七二センチの九〇キロ超とガッシリとしており、堂々たる迫力とゆったりとした感がある。それが水に入り、手足が動くことで泳ぎになってゆく。まさしくその姿は「鯨人」ではないか。ジワリと圧倒感と包容力が感じられてきた。

 そうだった。彼はそういうふうにして実に誠実な厳しさと大らかさで、人々や亡くなられた方に接しながら、生死の根幹を見凝めているのにちがいない。

 メイモウにまみれているぼくは「札内川の魚人」だとじふしているのだが、和尚はこのぼくに対抗してんのかな。

 ふうむ、川の格としては札内川の方がずっと上なのだが、泳ぎ手としては魚と鯨とではなどと考えてしまう。シャープさや美しさなどからも比較すれば魚の方がいいんじゃないのかなぁ、と思うのだが。

 

 

◎プロフィール

帯広在住。自営業。文筆家。
著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。

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