刻む・・
2013年9月17日
物心つくと家に振り子の時計があった。チクタクチクタク音がしてボ〜ンボ〜ンと数が時を伝えた。踏み台に乗ってギィーギィーとねじを巻いた感触が残っている。いま我が家の時計は静かでネジも巻かない。
小学生のころ映画館のキップ売り場に目覚まし時計が二つあった。左に今の時間、右が観終わる時間を指していた。昭和三〇年代初めの光景である。
中学に上がると腕時計を買って貰えた。社会人になってファッションの一部としてブランドに拘ったこともある。統計によると腕時計の出荷は下がり傾向で、その背景には携帯の普及があるそうな。近ごろはシネコンの暗闇で映画の終わる頃に光っていた。
日本の時刻計は飛鳥時代の天智天皇に遡るとされ、先年訪れた近江神宮の境内には漏刻(水時計)の模型を始め日時計が設置され、時計館博物館で時の文化に触れることが出来た。
時折り尋ねる知り合いの玄関先には、人の背丈もあるホールクロックが備えられ、部屋に通される度に壁の柱時計が増えていた。骨董品を見つけて、金属の飾りなどをはめ込みこの世に一つしかない時計を造るのが愉しみと聞く。時分になると懐かしい響きがそこかしこで鳴り出しお互いに苦笑する。この方の本業は住職であった。
先頃、久能山東照宮の宮司さんから本を出したと便りが届いた。落合偉州(ひでくに)・著「家康公の時計」で、落合さんと言えば『本殿・石の間・拝殿』を二〇一〇年の国宝指定に注力されたことで知られる。四百年に亘り保管されてきた機械式ゼンマイ時計は、慶長十四年(一六〇九)に房総の沖合で難破したスペイン船の救援に家康公が尽力したことへのお礼として、慶長十六年(一六一一)にスペイン国王フェリペ三世から送られた家康公の手沢品。現在は国の重要文化財指定の西洋時計を、国宝認定に向けた活動が情熱的に綴られている。
忘れてならないのは、今年五〇周年を迎えた札幌市民憲章の冒頭に掲げる時計台。この街のシンボルがネット上に、日本三大がっかり名所?などと揶揄されるが、瞼を閉じて周辺のビル群を払拭すれば、往時の佇まいも浮かぶのではなかろうか・・
現在の地で明治三十九年(一九〇六)から時を刻み、その構造技術は高いものと評され、鐘の音色は数多の文学や歌に託されている。
◎プロフィール
〈このごろ〉本号の綴りで百回目となった。振り返ると感慨深いものがあり、これがリタイア後の自分の足跡になっていた。