作家 小檜山 博
2013年9月30日
早春のある夕暮れ時、帯広の街に春の雪が舞っていた。車を運転して駅前近くで信号待ちをしていると、帯広ワシントンホテル前から四、五人の男たちが現れて歩き出した。その中の一人がオーバーコートの衿を立てていくぶんにこやかな表情を見せている。札幌在住の作家 氏だった。
久し振りにお見かけした。雪が舞う街中でオーバーコートを着て歩く姿が良く似合うのだ。時間からしてどこかで夕食会かあるいは講演会かも知れない。
三十年近くも前のこと。書店で「乱酔記」という本が眼に映り、初めて小檜山 博という名を知った。帯カバーに「生の証を求めてボロボロになるまで酒を飲みつづけて─」とあった。仕事も生活もどうしょうもなく酒浸りの日々だった自分は、これはオレのことだ、と思って買ったのである。その夜、興奮しながら朝まで一気に読んでしまった。
以来、「地の音」「天女たち」「雪嵐」ほか次々と読んでいった。読むとっとしてられなくてタクシーを呼び、本を片手に行きつけのオデン屋に駆けつけた。大至急コップ酒を注文して飲み、つづきを読んでは感じ入って頭ん中が沸き立ち、また酒を飲む。コヒヤマハクビョウに侵されてしまったのだった。
オホーツク風土に生きる人間の生命と哀しさを描くその描写と表現に、圧倒されていた。それは器用ではない人生を生きている自分の生活からしてもたまらなさを感じてしまっていた。
当時、文を書くのが好きな仲間たちの会があって、皆に、「小檜山 博って知ってるか、彼の本を読め」と半ば命令口調で言った。すると読む者が出てきて、一人二人とやはりコヒヤマハクビョウが伝染していった。その中の一人が、
「スゲェ、これが文学だ!」
と唾を飛ばしながら喚いた。ぼくはみんなに、先生の講演会をやれないものかと話してみた。そんなときメンバーの一人が札幌出身の折になんと先生に会い、講演をしてくれるということになったのだ。地元の「ザ・本屋さん」社長の高橋千尋氏がスポンサーになってくれることになった。
遂に八六年三月二十日、帯広市民会館別館三階大ホールで開催した。ふたを開けたら三十名にも満たず、ぼくは舞台脇で小檜山先生に、
「すみません、お客さんを集められなくて…」
と謝った。すると先生は、
「いいんですよ。ぼくの話を聞きに来てくださる方々がこんなにもいらっしゃるじゃないですか」
緊張しているぼくの不安をやわらげてくださった。
いまでこそ十勝プラザの大ホールでいっぱいになるが、当時は無名に近く、小檜山文学はぼくのものだと独占している思いだった。
自分のつたない作品をコピーしたものを先生にお送りし、初めて頂いた葉書には「もう少し文章をきちんと書かれますように…」とあり、長いこと心に留めているのだった。至らぬ身だったが、勉強もさせていただいた。当時のことが懐かしい。
◎プロフィール
帯広在住。自営業。文筆家。
著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。