No.1,104
2013年9月24日
今期の日本ハムファイターズの低迷は、ココ十年来北海道に引越して来てからの斬新な改革が当たり続き、結果論としては「いささか調子に乗り過ぎていたか?」、と言われてもの展開。新庄選手の大抜擢でパフォーマンスフリー、ヒルマン監督の招致でメジャー流改革、一昨年の菅野君には逃げられましたがドラフトで中田に斎藤そして昨年は無謀と見られた大谷選手の口説き落とし成功。かつての後楽園球場で巨人の空いた時間に間借りしていた如くのマイナー的球団が、「アレよ」の間の大出世。当時はよく居た子供の頃は巨人の星になるのが夢、であった現在に至るも巨人一辺倒の私見でありますが。
さて、結果論で申せば「話題集め先行」、で二刀流大谷選手中心にチームを回してきたシワ寄せで成績低迷、と取られても致し方ないかな、昨期オリックスへ手放した糸井選手のカラクリ含めて。方針ですから責任は「収益と成績のバランス」についても編成含め球団にあり、監督一人にドウコウの問題には成りません。せっかく北海道民が我が事の様に応援してくれる体制を築き上げたのですもの、今一度初心に戻り「フアン心理の恐さ」を受け止め修正頂ければ、と存じます。
はい、ここからは暫く振りに「ブンちゃんのアルバイト歴、その9」へ。
処は千葉県市川市、大学三年生のボクは夫婦で経営している町の米屋さん、で毎日の様に御米配達トラックの運転手アルバイトをしておりました。とは言っても、さして体力も必要とせず近場の個人宅へ10キロの米袋を日に十数件届ける程度で、助手席に乗るご主人の指示通りにクネクネ細い道をノンビリ運転するだけ。未だに何故、ご主人が車の免許を持っていなかったのか知りませんが、考えてみれば仕事量からも経費からも「自分一人で普通に配達出来るものを?」、との疑問が浮かびますがマア、今も現地で商売続けているはず、いつか御挨拶がてら訪ね聞いてみましょう、意外に免許に関するトンデモナイ過去があったりして、ね。そしてそこでの楽しみが、毎昼奥さん手料理のごはん、いつも三人で事務所のテーブル囲み和やかに頂き美味しかったです。加えて店先では奥さんが握った「おにぎり」を販売していて、バイト上りには毎日売れ残った十数個を頂き帰り、当時住んでいた貧乏アパートの面々に分け与えつつ、生き伸びておりました。金は無くとも幸せな時代でした、よん。