過ぎし日々から
2013年10月15日
医者のイケダ先生は、静かな風情だが八十には見えないほど若くて役者的な存在感がある。バッハを聴き通し、ほとんど薄くなった短髪に眼光は意識がグッと表れ、相手の内奥を見ているような推理小説の探偵みたいにも見える。
人生にはままならないこともある。元気で仕事をしていたのに、いつしか糖尿および腎臓が不調になり、遂に辞職された。
サハリン出身で、幼児のころに父を亡くし、戦後、母と兄弟と共に上砂川に引き揚げてきた。食べて行かなくてはならず、中学を辞めて炭鉱で働いていた。独学をしながらやがて北大医学部に入り、後に医者となった。帯広に来て大手のK病院で内科医長を務めたのちに独立開院し、地域医療にも貢献されていた。
ぼくの亡き父は脳梗塞で倒れて以来、先生に長年に亘ってお世話になった。そんな関係もあってかうちは、家族ぐるみの付き合いをさせてもらい、母は折々に伺っている。二人の息子のこと、テルミ夫人や夫人の両親のこと、飼っているコリー犬のことほか、いろんな出来事があった。その交流は、さまざまな思いを通した人生そのものだっただろう。
母と二人で久し振りに訪ねて行った。先生の体調をいながら少し話をする。
「ふだん何を考えておりますか」
「…死ぬことを考えている」
「え? なんですかそれ…」
聞いてみるとそうではなく、きちんと管理しないと命に関わるし、いつかは死んで行くものだ、と言っていた。
「でもね、心が晴れることを考えましょうよ…楽しいことだって何かあるでしょう」
夫人が側で先生のことをそっと気遣っている。
母も、マイナスのことを考えるのは良くないよ、と言う。ぼくらが医者でもある先生に言うのは妙な気もするが。
「しょっちゅう兄や弟と電話やメールのやり取りをしている」
彼の眼に温みの色合いが差していた。
「楽しいでしょ?」
頬が少し動き、静かに頷いた。
少しでも心身のためにと、散歩やパソコンメールのやり取りなどをしている。兄弟とのメールは、生まれ育った少年時代や親のこと、健康や家族のこと、などと尽きないであろう。それは寂しさだけではなく、どこか自分の心にふわりと力が湧いて光があふれる思いもあるだろう。
夏の猛暑のある日。仕事で車を運転して春駒橋近くに来たとき、男が欄干下部のコンクリ台に腰掛けて休憩しているのが見えた。長袖ポロシャツに混紡のズボンとスニーカー、そしてアポロキャップを被って杖を手にしている。一瞬、
─あ、先生だ…。
と思いながらいくぶんゆっくりと通り過ぎて行った。
哀しくも見えてたまらない。彼は見るとはなしに往来の宙の一点を見ているようだ。その眼に生きてゆくことの有情無常が垣間見え、過ぎし日々のことや今後のことが滲み出ていた。暑い陽射しなのに、光は、彼の存在を優しく鮮やかに輝かせていた。
◎プロフィール
帯広在住。自営業。文筆家。
著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。