足もと・・
2013年10月21日
猛暑の続く七月下旬、札幌市郊外のテーマパークで、縄文遺跡見学会があった。始まる寸前にスコール。バケツをひっくり返したような雨。雲の切れ間を見計い説明が始まると歩くたび足が重くなり、靴底が三センチほど泥で高くなっていた。
季節が秋風に変った九月初め、車内の電光掲示板に「ただ今、海峡駅付近を通過」と流れ、暫くすると津軽半島の土を踏む。青森駅でバスに乗り込み三内丸山遺跡に向かい、広大な敷地に五〇〇〇年前の人たちが、生活していた場を目の当たりにする。
遠くからでも目立つ六本の柱、再現された大型竪穴住居の構造は合掌造りと似て、高床式の倉庫とされる掘立柱建物では、真っ先に正倉院を連想し、沖縄で目にした高床の家も思い出す。神社建築や城の天守閣に見る木組みの技法は、古代からの知恵が連綿と伝わっていると思われた。
東北の三内と萢(やち)などは北海道の珊内や谷地と繋がるアイヌ語の地名が少なくない。『人面付き土器を発見!』と最近のニュースで話題となった五所川原の五月女萢(そとめやち)遺跡は、発掘担当者の案内で目にするヒスイ・玉・赤色顔料のベンガラに「うゎー」と思わず感嘆の声が上がった。発見した時の感想を聞くと「驚きを通り越し、整理作業に何年掛かるか頭をよぎった」と返ってきた。発掘品の折りたたみコンテナが保管場所に山積みという。この遺跡は数日後に埋め戻すとのことで、奇跡的にも視れたのが幸運であった。
小さいものでも二〇キロ、大きいのは二〇〇キロの石をめぐらせた十和田の大湯環状列石は、石の配列が夏至には日没の方向を表すそうな。七二〇〇個もの石をどうやって運び並べたのだろうと縄文人の知恵と力に興味をそそられる。
天候に恵まれて古代〜中世〜近代〜現代まで、三泊四日の北海道文化財保護協会「みちのく文化財めぐり」は、説明する現地の専門家に加え、質問する人もそれぞれの分野の研究者であり、これを聴けただけでも収穫だった。
帰路は、画面に映ったのがCGかと見間違えた大津波に襲われた仙台空港で、復興の息吹を感じながら人の持つ力に思いを馳せた。
因みに地質調査による我が家の下は、河原石で豊平川が近く、その昔は河川敷だったようだ。自分の足もとに古代の生活が・・と想像は拡がる。
◎プロフィール
〈このごろ〉オールディズの楽曲を聴く会が五十年を迎えた。中高校生のころ、ラジオにリクエストを書いた人たちの熱い思いは、今も変わらない。