識る・・
2013年11月18日
帯広を訪れるのは三度目となった。世情を勘案してか満席の高速バス・ポテトライナーは、道央道から千歳で道東道へ繋がれる。トマムを過ぎるころ、山肌が白くなり路肩に雪の名残りが見えた。
乗車して三時間後、帯広駅から友人の車で然別湖に向かう。十勝管内の道を熟知していた筈なのだが、二十数年も経つと新しい路を走っているようだ。
車が鹿追の町並に入ると、帯広時代に担当していた得意先が在り、建物が新しくなっている。「あのころ小学生の子供がいたので、後を継いだのだろうか?」などと思いを巡らせながら東大雪の高原に向う。
途中で「福原山荘」を散策すると台風の余波で枝が折れ散乱している。相当な水雪の量だったと窺われ、五百本近くあるというモミジの彩りも寒さで失われたようだ。湖に着いたが、山の紅葉はこころなしか淋しかった。
帰路、暮れなずむ畑に十勝平野が雄大さを醸し出し、防風林の向こうに夕陽が沈んで行く。
翌日は、十勝バスの定期観光コースに乗る。音更町の高台で、畑のど真ん中にお城のような建物が出現していた。スイーツ王国ならではのお菓子工場で試食三昧。次の「真鍋庭園」は、帯広郊外で何万坪の敷地にエゾ松・トド松などさながら草木の博覧会を呈し、四世代に渡って造られたそうな。庭園の一隅には、大正天皇が皇太子時代に行啓された時の休憩所「真正閣」が移設され、池のほとりに佇んでいた。
道の駅なかさつないで、大正時代の古民家を改装した蕎麦の店を見つける。前日、芽室町のにじます料理で舌鼓を打った「松久園」の家屋も大正時代の建築だそうな。
今まで近代建築は見逃していたが、興味を持つと古い建物が残されていることを識る。
帯広への戻り、バスガイドさんがアンケート用紙を配り始めた。乗った時から逢った覚えがあるも思い出せずにいる。「建物など撮られて調べものですか」と問われ、北海道文化財保護協会に所属して・・と応えると「九月の東北縄文ツアーには行けませんでしたが、小樽文化財めぐりに参加しました」と返ってきた。六月の暑い日、小樽海陽亭や手宮の総合博物館・鉄道史跡の見学会のときに会っていた。
今回の帯広は、行かなければ建築物に出遭うことなく、遊覧バスに乗らなければ再びめぐり逢うこともなく、いままでにも増して心に残る旅となった。
◎プロフィール
〈このごろ〉「鬼平犯科帳」「仕掛人梅安」「剣客商売」のコミックが巻数を重ねた。読んでいて江戸の町が彷彿とする。やはり原作の持つ力が大きい。