招かれざる客
2013年11月25日
レンタルDVDで古い映画を観るのが好きだ。「招かれざる客」はアメリカの人種差別を扱っていた問題作だった。この広い地球で肌色の違いや宗派で人が対立する現実がある。そんな深刻な問題ではないが、現在の私たちの生活でもあまり歓迎されない客はいるものだ。実は私がそうであった。
もう三十年前の話だ。幼友だちのT君が結婚したので新居へ訪問した時のことだった。その前に彼と私の関係を説明しておきたい。
T君と私はお互いに絵を描くことが好きで、小学生のころから中学生までよく遊んでいた。彼は高校卒業後、日大のデザイン科へ進学した。
私は札幌のデザイン専門学校に学んで帯広に帰郷し広告代理店に就職した。そのころ私は米国の通信教育でデザインを受講していた。その通信教育で受講生を対象に年に1回作品展を開催していた。応募すると入選したので私は表彰状とメダルを受け取りに東京へゆくことになった。T君が居候している親戚の家に投宿しながら、彼と東京見物や京都旅行をした。デザインの話や、読んでいる哲学や心理学などの本の感想を述べたりした。そんな話ができる友人はそう多くはなかった。心ゆるせる朋友である。
T君は札幌に就職し、やがて結婚することになった。私は札幌へ出る用事があり、T君に会いたくなった。彼の都合を確かめるために連絡すると「うちに泊まってくれ」という。彼の妻は迷惑しないのだろうか、とためらった。彼らは共働きとも聞いていたからだった。泊まってくれ、と彼がいうのだから問題がないのだろうと考えた。しばらくぶりの再会だから、お互いに積もる話もあるだろうと心が躍った。
私は「エルパソのハムの詰め合わせ」を手みやげにして、T君のマンションを訪問し、彼の妻にあいさつをした。
今、思い返すと、食事をし一泊したはずだが、愉しい一夜を過ごしたという記憶がない。酒以上に酔わせるのは会話であるが、彼の妻と会話すら満足に交していなかった。別に彼の妻のことなど特に知らなくてもいいのだが、歓迎されていないことだけは感じた。
夕食後、彼の妻はキッチンで皿を洗っていた。皿がぶつかりあうガチャガチャという音がした。無言だったが、彼女の苛立ちが解った。T君にとって私は親しい友であっても、彼の妻にとって私は招かれざる客であったと気づいた。
札幌はわが青春のまちである。会いたい先輩や仲間も多いが、一泊の予定があれば、サウナ温泉か安いホテルに泊まっている。
独りの時間も大事だし、自分の生活のペースも守りたい。余暇を奪う訪問者はご遠慮願いたいと思う。今は、T君の妻の気持ちがわかる。
◎プロフィール
北海道新聞「朝の食卓」元執筆者。十勝毎日新聞「ポロシリ」前執筆者。2004年「モモの贈りもの」エッセイ集発刊。晩成社と鈴木銃太郎の研究家。