No.1,121
2014年2月 3日
楽天の田中投手が破格の条件でポスティング移籍決まりましたが、やはりニューヨークヤンキースなのでした。
お金持ち球団、を置いといても「名門ヤンキース」の看板は結局、あのイチローにしても引き寄せられましたもの。それは松井が選手としての晩年、少なからず複雑な感情にさせられた事でもありましょうし、日本では最後には東京ジャイアンツ、の様に「野球少年の気持ち」は息づきます。
私も子供の頃は多分に漏れず野球漬け、小学生の頃は放課後毎日校庭で日が暮れるまで友達とボールを追いかけ。3年生頃やって来た新人教師が野球好きで、本格的にチームを立ち上げユニフォームもしつらえ、他校戦にも出たりなんかしてセピア色の想い出は映画の「三丁目の夕日」の様な記憶。
そんな少年の夢、巨人軍入団を現実的ではないと実感したのは高校野球部時代ですね。中学時は四番打者で恐いもの知らずでもありましたが、高校ではエースに四番が集まる強豪校だった事もあり、日々「甘くないな」感。硬球に変わり投げ方も悪かったのでしょう、肩を壊したのも「あきらめ」に加速をかけた。
その後は東京生活時代、草野球にたまに誘われプレーしていましたが、やがて「夢」が音楽にスライドして行きまして。それでも気が向くと、近くに東京ドームがある環境に誘われ巨人戦の外野席でビールを飲み、昔の夢を重ね懐かしんだりして。けれど、球場を背にして地下鉄駅へ向かう道すがら、何か寂しくなってね、焼鳥屋のノレンくぐったりしていたよ。目の前にかつての夢が手に届く処で展開されているのに、実際には届かない寂しさか時間と距離を超えての心境はナカナカ複雑でもあり。
さて、そんな沢山の少年達の夢の世界を現実に過ごしているプロ野球選手達、順調だったり挫折したり引退したりとそれぞれに「今」を生き抜いている事でしょうが、言わば我々の代表ですからね、技術だけではなく高い精神性を備え「粋に感じて」ライトを浴びていて欲しい。そこに「トンデモナイ高年俸」、も庶民は納得してわざわざ球場に足も運ぶし応援もする、言われなくとも。
他方、ACミランへ移籍したサッカーの本田選手にしても小学校時の作文を現実にした稀有な存在、自らのビックマウス呼ばわりを跳ね返した今後が楽しみです。 そして三浦和良選手は今月47才になるも未だ現役、長く夢の中に生き続けられる羨ましき人徳に敬服です。