災害難民
2014年3月10日
帯広は二月十五日に降り出した雪が翌日には二十六センチの積雪になり、低気圧による強風が吹き溜まりをあちこちに作っていた。固形石鹸が少なくなってきたのでそれとコピー用紙も買わなくてはと車を走らせてホームセンターへ向かっていた。小道から稲田通りに出る出口のところも吹き溜まりになっていたが、ソーネンがたるんでいたせいでマヌケなことに車で一気に走り抜けようとして突っ走り、ググググッと埋まった。ミットモナイことをしてしまった。
スーツと革靴の恰好で、非常時対応のヤッケ、長靴、手袋、スコップなど積んでいなかった。近くの家でスコップを借りた。風が強く雪煙で周囲も見えず、頭も背広も濡れて「大変な事態だ」と思いながら懸命に雪搔きをするが、しかし車体の下も雪が詰まっててとうとう腕が止まり、万事休す。
身内にケータイを掛けて助けを求めた。たかが住宅街のちょっとした吹き溜まりに埋まって出られないことに、愕然となった。まるで大雪による難民ではないか。普段から災害というものを意識しているのに、自分のことも満足にデキテイナイていたらくにナサケナイ。
小さな出来事は実にとてつもなく大きな世界を孕んでいるのだった。ちょっとしたことが大変な事態を招いてしまうのだ。これが夜半だとか人も人家もない郊外や山ん中だったらと思うと、寒心がしてならない。
運転席に座っていると、道路向かい側から男がスコップ片手に現れた。ぼくは車から出て「すみません」と言って説明をした。彼は状態を見てこれでは無理だと覚って引き返された。すると相手の方は、なんと所有されているのかパワーショベルを運転して来て、ロープ牽引をしてくれてやっと脱出できたのだった。ほとんど喋ることもなくどこか素朴な感じがするその方に、ぼくは何度もお礼を述べた。翌日、改めてお礼を申し上げるべく御自宅へシュークリームをお土産に持ってお伺いした。
異常気象というが、実際には「天変地異」の世といわれている。それは全地球的地殻変動を頂点として火山爆発、地震、山火事、雪、雨、台風ほか様々である。
先日、関東甲信地方などの山間において記録的な大雪に見舞われ、「陸の孤島」になってしまった。食料が底を突きはじめていた。
「二週間分の食料備蓄と非常用具の備え」と「家庭における防災計画」はどこの地であっても必須条件なのだ。なのにたいしたことはない、と思っている人があまりにも多いのではないか。考えるほどに恐ろしい。
災害の世を生きるとは自らの想念といままでの生き方を考え直すことに他ならないのだ。日々どう生きるかはとても難しい。「明日は我が身」である。結局自分勝手な生き方をして堕落していると、自らに影響してくるのである。
◎プロフィール
帯広在住。自営業。文筆家。
著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。
二冊目の本、銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)が三月十四日に発刊されることになりました。主要書店にて、どうぞ宜しくお願い申し上げます。