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エッセイSP(スペシャル)

恩師・・

たかやま じゅん

2014年3月17日

 友人の伊豫田氏と連れ立ち、北海道文化財保護協会主催による幕末の会津藩に纏わる『敗者からの日本史』の講演を聴きに行った。講師は北海学園の役員に就かれている原一夫先生、白虎隊の中隊長で原早太の子孫にあたるそうな。微に入り細に入り語る歴史に引き込まれた。
 配布されたテキストの中に幕末会津城下の地図があり、大河ドラマに登場した人物たちの名に交じって友人と同じ苗字で、玄武隊の中隊長であった伊予田図書(ずしょ)の名を発見。帰り道、「出自が三河であれば、伊予田の一族が会津に来ていたかも・・」のひと言が耳に残った。
 原先生から名刺を頂いていたので、件の苗字を尋ねる手紙を出すと「近々会いましょう」と連絡を受ける。数日後、渡されたコピーに「伊予田氏の本国は三河・・会津の祖である保科正之公の時に仕え・・」と記されてあり、友人の驚く顔が目に浮かんできた。
 先生は、十勝管内で十五年近く教職員をしていたと識り「私も帯広は八年ほど勤務し、十勝を回りました」と伝えたことで話が弾み、二時間を超えていた。時は違えても同じ土地にいたという思いは、昔から知っていたような気持ちにさせてくれる。まして原先生の卓越した知識と一回り半違う年齢からくる穏やで春風のような話ぶりには、懐かしい恩師と話をしているような感じすら覚えた。
 私にとって師との出会いは今から三十年以上遡る。購読していた映画雑誌のキネマ旬報に、資料集めの大変さを投稿し、暫らくすると「集めるのは根気がいりますよ。一度来ませんか・・」と書かれたハガキが届き、差し出しに田中純一郎と記されてあった。
 この名は、映画の歴史を語る上において必ず参考とされている『日本映画発達史』という日本に映画が入ってきてからの変遷を著した方で、このとき八十歳になられていた。
 大泉のご自宅で、押入れにまで埋った資料を目の当たりにして、その集め方など六年に渡り薫陶を受け、終生の師と仰ぐこととなった。以来、映画だけでなく歴史や音楽についての資料を集めるのは、田中先生のお陰と言っても過言ではない。
 先生が逝かれ、残された膨大な資料はご出身の群馬県・新田町(現太田市)の図書館に寄贈されと伝え聞くが、訪れないままこの三月で二十五年経ってしまった。しかし、映画史家・田中純一郎の名は、いまも確実に私の中で生きている。

◎プロフィール

〈このごろ〉青空が広がり、春の気配になった。暖かくなれば雪はねで痛め二年越しになる左指の炎症も治まるであろう。

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