No.1,130
2014年4月 7日
四月が始まり入学入社式、企業は棚卸に決算、加えて消費税8パーセントへ増税件と、何かと新体制で臨まねばならぬ慌ただしくも新鮮である季節の変わり目です。十勝も気温上がり雪も溶け、長い北国の冬を脱し平成になって早26回目の春の手ごたえを感じている処。「仕切り直し」、今まで上手くいっていなかった方々は字の如く、順調である方々はフンドシ締め直し、って再確認し。
それにしても北海道ほど「四季」が明確に体感とし視覚とし感じさせられるのは、国内外でも稀の様な。季節ごとに暮らしの準備と片付けを知らず繰り返し習慣付けられているが、手間と共に几帳面な人格も育て上げられ、各地「土地柄」って言われる様にその土地ながらの気質がありますね。
さて、そんな違いが「旅」への憧れを成り立たせているのでしょうが、おもむろに「笑っていいとも」のラスト10回を見届けての話へ。いまだにタモリさんが新宿アルタの狭い楽屋において「時刻表と地図」を合わせ見ながら空想の旅に出続けている旨を聞き及び、「せつなく」もなりし。 「タモリ倶楽部」でも電車に乗り少年の様な彼の「鉄男」ぶりを、時に微笑ましく拝見しておりましたが、「いいとも」の3月31日の最終回と夜の本当に最後の特大号までを見届けて、実に「タモリ」後半生の達観した姿に触れ、素人間な姿に深く愛おしく。最後は出演者達が涙ながらに、学校の卒業生みたいに「師」であるタモリに感謝の言葉を語っておりましたが、今を代表する「ひとクセふたクセある芸人達」も、み〜んな本当に彼の事を慕っていた様子がフィルター無しで展開された。見ていて泣けましたね、タモリさんは元より皆「好いやつ」でした、みんな等しく誰よりも自分が「タモリに近い、より愛されていた存在だ」と、小さな子供が親の愛情を独り占めにしたくバタバタ暴れている様に競い。いい大人の「トンネルズ」も「スマップ」も、親離れする瞬間のひな鳥の様に、素顔のままに泣いていた。
以前住んでいたほぼ町内にタモリ御殿と事務所があり、良く通りがかっていたものですが「継続は力なり」、で確かに日本の芸能史に名と、背中で後輩たちへ遺伝子をも残された。彼が世に出始めた頃のテレビ「うわさのチャンネル」でのタモリ芸の衝撃と、深夜ラジオ「オールナイトニッポン」でのハチャメチャぶりから隔世の感、に、シミジミと年月を振り返り、微笑みつつ。