威厳への試み
2014年6月 9日
近年、テレビで時代劇をあまり見かけなくなっている。勧善懲悪物であろうとマンネリだろうと、日本人だから当然のごとく受け入れているし、何よりも現代物のクダラナイドラマなんか問題ではないのだ。演じているとはいえ、時代劇における人との関わり方や礼儀作法などを見ているだけでピリッとするものがある。
昔、武芸をほんのちょっと習っていたことがあり、その精神性に感じ入っていた。茶の世界などにしても、その心の在り方やインテリジェンスの美しさもあって魅了されてしまう。
人を呼ぶときは、たとえば母の場合は「かーちゃん」「おっかあ」「おふくろ」なんていうのは親しみの愛称かもしれないが、そこはやはり礼儀正しく「母上」と言うべきではないべか。当然父の場合はなおのことキチンとした言い方があってしかるべきなのだ。
前髪を剃ったばかりの息子の主税が、いよいよ同志とともに吉良家へ参る父の大石内蔵助に向かって、
「父上! 私も参ります。ぜひお供をお許し下さい」
そう伝えると、制止する父に構わず、主税は正座から立ち上がって脇差しを腰にビシッと据えた。
あぁ、なんと日本人は礼儀正しく美しいことかとシビレル。
しかしあれだな、そうは言ってもぼくのようなガサツでタヨリナイ有様では、カッコ取れんな。
ある夜、姪っ子のミサトとマキがぼくの家に遊びに来た。みんなで夕ごはんを食べ、テレビのお笑い芸人たちのケーハク芸に「キャははは」「あハハハ」と笑いながら観ていた。彼女らと合い間にちょっと話をすると、ミサトが、
「オジサンさぁ、あのサ…」
むむっ、となった。気に入らない。ぼくはオジサンであってオジサンではないのだ。
─これではいかん。
と思い、居住まいを正し、一言申すことにした。叔父上としての威厳を失してはならないのだ。
「あ、あのね、キミたちに伝えたいことがある」
「なあに?」
ミサトがくるりと顔を向けて聞いた。
「私のことをオジサンなんて言ってはいけません。これからは方針を改めます。」
「じゃぁなんて言えばいいの?」
「叔父上と言いなさい、オジウエと。わかりましたか」
言ってやったと思い、内心ほくそえんだ。
マキはキョトンとした顔をしていた。ミサトは呆れたような表情で宙の一点を見ていて、それから視線だけを下に向け、そして上がってぼくを見た。
「わかりましたァ、オジシター!」
そう言われたオジシタは、ううむ、と息を大きく吸い込んで体を膨らませていた。
◎プロフィール
帯広在住。自営業。文筆家。
著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。
第二作品集、銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)が三月十四日に発刊されました。喜久屋書店・ザ・本屋さんにて発売中です。