下北沢で
2014年7月28日
温泉に入って、気分よく出てきた。ロビーの椅子に腰かけ、何気なくマガジンラックの雑誌を手にした。
「週刊現代」の巻頭グラビアに目が止まった。「昭和スターが愛した店」。俳優の松田優作が週に4回は通っていたというバー「LADY JANE」が載っていた。店の住所を見ると下北沢となっている。あの店だ、と私はすぐに気付いた。
それは12年前の6月だった。私は群馬の帰り、品川プリンスホテルに泊まる夜だった。生江有二(なまえゆうじ)さんと渋谷駅前で会う約束だった。生江さんは評判を呼んだ映画「竜二」の原作者で、生まれは福島県会津で、明治学院大学法学部を中退し、雑誌記者を経て「無冠の疾走者たち」で日本ノンフィクション賞を受賞した。ほかに「気の力」「世界の自動車を造った男」などの著書がある。
渋谷駅前があまりにも混雑していて生江さんが見つけられない。携帯で位置を確認して近寄った。連れてゆかれたのは下北沢。華美でなく落ち着く街だ。沖縄料理の店で食事をし、下戸の私がビールを飲み、よしない話をした。
その後、「LADY JANE」というバーに案内された。前衛的な琴の演奏を聴きながら、甘いカクテルを飲むうちに、酔ってきた。ライブが終わり、生江さんは店の棚から黄色のラベルのバーボンを出してきた。
それは松田優作の最後のボトル「アーリータイムズ」だった。ライトな口あたりでキレのいい後味を持つといわれる。私はせめて一口飲みたかったが、皆が飲みたがるので原田芳雄が封をしたという。ボトルのMATSUDAという字を私は指でなぞった。
生江さんは店の勘定を済まし、お土産と品川駅ゆきのキップまで渡された。東京に慣れていない田舎者の私を気づかっていた。ウイットで粉飾するが根は思いやりのある仁の人である。
そもそも、私と生江さんはどうして出会ったのか。今から17年前に、ジャーナリストの高野孟さんが、十勝に遊びにきて、東京人と十勝人と一緒に遊び学ぶという「十勝渓流塾」を作った。私はその事務局を担った。そこで東京から来る編集者や作家の世話をしながら親しくなった。生江さんもその一人で、帯広拓成の森で山菜採りをして夜は天ぷらにして酒の肴にした。
東京で生江さんに会ってから12年が過ぎている。今はどこで何をしているのだろう。私より3つ年上の生江アニキに会いたくなった。また、飯を食いたい。今度は私がおごる立場だ。動向が気になり私はネットで「生江有二」を検索していた。
◎プロフィール
(よしだまさかつ)
北海道新聞「朝の食卓」元執筆者。十勝毎日新聞「ポロシリ」前執筆者。エッセイ集「モモの贈りもの」発行。晩成社の研究家。