セールスという仕事
2014年9月 8日
何かの商品を販売するにはいろんな方法があり、そして外交販売というスタイルもある。
売り手と買い手という相関関係が成立することで経済が成り立つ。戦後の日本は、企業の多大なる販売戦略によって活性化し発展していった。同時に社会というものは時代とともに変容してゆくもので、販売のあり方もそれに呼応し、商品によっては相手先や売り方など方法を選ばなくてはいけない。例えば、自動車、保険、あるいは洋服など、ある程度は客が決まっていてそんななかで営業してゆくことがあるだろう。ところが業績が下がるとどうやって乗り越えてゆくとかいうことを考える。売り上げを増やさなくてはならず、そのひとつに新規開拓して新しい客を見つけるという方法があり、どうするかと考えると飛込み営業という方法もある。それは過酷なやり方である。
効率を考えなくてはならず、ある程度の大きな組織を狙ってゆく。例えば官公庁や会社などは人がたくさんいて好都合なのだ。現実にはセールスをするということは相当なストレスがある。相手側はさまざまな方がいて、それに対応するということはかなりの神経を使い、クタクタになってしまう。あまつさえ何か意に反することなど一言でも言われると堪らない。強心臓的な面を持っていないと務まらず、誰でも出来る仕事ではない。
某役所で外交をしていて、さる部長に挨拶をしたら、
「仕事中に入ってこられるのは…」
と言われ、謝辞を述べて離れるのだが、そこに、いや、そうではないだろう、と思っている自分がいる。
仕事中の出入りはご遠慮ください、という論理はいかがなものか。仕事に関係する者はいいが、そうでない方は…というのは正論に思えるが、少し違うのだ。それが通るならば無関係の業種の方は昼休みかあるいは業務終了後でないと入っていけないことになる。そんなおかしなことはないのだ。もちろんあきらかに邪魔を迷惑をお掛けしているのは論外ではある。
そもそも、例えば市役所などについて考えてみたい。市役所はその町の事務機能を司り、人々と交流を図りつつ発展に寄与することが根幹である。そこにさまざまな仕事、立場、人生の人々が交差するようにして出入りしながら動くことで活性化してゆく。いろんな方々の思いがあるのだ。決められたことだけで物事が成立するわけではない。社会が創られてゆくということはそういう暗黙の呼吸があってきたことなのだ。従って現実には「幾多の要素がエネルギーとなって動いてゆく」ことになるのだ。規則というものは厳密でもあるが、あえていうなら建前的でもあって時にはそれなりのフリーハンドも必要である。言い換えれば緩衝地帯は必要なのだ。それがないとギスギスしてドアの建て付けもエンジンも故障する。
何事かを言われて引き下がるようでは外交失格なのだ。
◎プロフィール
帯広在住。自営業。文筆家。
著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。
第二作品集、銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)が三月十四日に発刊されました。喜久屋書店/ザ・本屋さんにて発売中です。