JRタワーの35階で
2015年3月30日
札幌で一泊した翌日だった。午前11時すぎにJRタワーの1階、ホテル日航ロビーで待ち合わせだった。二人の女性をさがした。
人込みのなかで私の記憶にある彼女らの顔を思い浮かべてロビーを見回した。私は長身で、風ぼうは激変していないので見つけやすいと思っていた。私に声をかけてきたのがM子さんだった。やがてE子さんも来た。
エレベーターに乗り、35階で降りた。「SKY・J」で欧風バイキングを食べることになった。コートを脱いで地上150mの景色に見入った。駅から南の札幌の街並みが見わたせた。席は南角で景色を眺めるには最高の位置だった。藻岩山などは雲で隠れていたが、やがて明るくなると山並みも姿を現した。
好みの料理を皿に盛って私は席に戻った。Eさんはワインを口にしてうっすらと頬を赤らめ気分がよさそうだった。三人が出会ったころの場面を脳裏に浮かべてくつろいだ会話を交わした。お互いの顔に時の流れを感じるが、気持ちはあの時のままだ。
私は十八歳で札幌に就職した。夜はデザイン学校に通った。教室で席の近い者たち5人ほどのグループができていた。彼女たちはその仲間だった。品のよい都会的な彼女らを距離を保ちながら、つきあっていた。私は夜学のデザイン学校を前期で中退し、彼女らに会うことがなかった。
だが18年ほど前、M子さんが顔写真入りで新聞に載っていた。彼女は北海道でも有数な企業に勤めて、配属先の業務が紹介されていた。
その後、札幌へ出た折に連絡してM子さんと会うことができた。彼女が迷惑そうであったり、あまり私を歓迎していないそぶりを感じたら、すぐに去ろうと思った。M子さんは、「E子とは今でも時々会っているの。今度、会いましょう」と提案してくれた。
E子さんは行政や企業の広報誌のプランニングや取材文を書く仕事をし、カメラマンのNさんと結婚した。そのE子さんが、私のことを評して「とにかくやさしい人だった」と述べた。やさしくしたことは忘れたが、面映かった。
食事が終わって席を立つと、ここの勘定は私たちが、とM子さんが言った。私は軽く頭を下げた。
帰りは十勝5号に乗って、彼女たちとの愉しい会話を思い出していた。お礼に帯広のお菓子の詰め合わせを、すぐに送ろうと思った。それでは彼女たちのおもてなしが相殺になるかなと考え、しばらくしてから贈ろうと考え直した。
◎プロフィール
(よしだまさかつ)
北海道新聞「朝の食卓」元執筆者。十勝毎日新聞「ポロシリ」前執筆者。エッセイ集「モモの贈りもの」発行。晩成社の研究家。