No.1,183
2015年5月18日
今政権、安倍内閣「そろそろ、敗戦のいじけた引っ込み思想卒業!」宣言で、世界の紛争地に我が精鋭軍隊をドウドウと送り出し、日の丸掲げて何処にでも「ショーザフラッグ致します」を、現日本国民は如何なる反応なるか、淡々と見届けていますが。思ったよりズーッと拒否反応度、危機感は低いのよね。意外でした、さすが官僚様達は国民の意識度を市場調査し予測、万全の態勢で仕掛けていました、って処。「そうなんだ」、直接的に日本を意識された攻撃ではなくても自衛隊派遣し、そこでキッカケになり敵対されて戦争へ突入する「可能性」を想像し、「ちょっと待て!」って声が今の政府の動きを察知しても爆発しないのだと。
この戦後七十年と言う年月は、思うより国民意識に大きな変革が進行していたと戸惑い、ならば現実を受け止めて違った角度で更に研究しなくては、と至っております。今後の原発に対する方針にしても同様に、判断の拠り所の曖昧さにドウ白黒振れていいのか戸惑う多くの国民の苦悩も感じますが、この国は灰色の風に広く覆われ先の展望が見えづらい時代に居るのでしょうか。或いは、意識して先の事を考えずに「今」だけを焦点に生きる啓発本に感化され過ぎじゃないの?、って発想も。過去も未来もコントロール出来ないなら、ただ今を生きる、って答えにしがみ付き「今が良ければ後の事までは知らないわょん」って流されようとしているんじゃないのか。そんな風に多勢が思い及んでいるとしたならば、人類の進化の停滞ドキかもね。 今一度、頭にサビ付いている自分なりの常識、って奴をソギ落としモノの見方を大きく転換、「そもそも常識って一体何だ?、昨日の常識は今日の非常識」って本当かもしれないしね。そんな風に今一度頭を柔軟に無にしてから今後の「志」を築き、余生を生き切ってみようかと。
久し振りに全編硬い話にはなりましたが、「着々と進行する戦争法案に見て見ぬ振りの今、我に問う」、自問期なのです。