No.1,184
2015年5月25日
「大阪の都構想是非」を問うた住民投票、惜敗ながら橋下大阪市長の悲願であった夢も陥落。地団駄踏んで大層無念かと思いきや、意外にサバサバ笑顔を交えての敗戦の弁会見。加えて今年の市長任期終え同時に政治家卒業ですと、弁護士家業に戻りますと。こうして一つの嵐が去ってしまえば、それはそれで寂しく感じ入り。
七年と幾ばくかの年月、大阪は元より日本中が「維新旋風」にやられましたね、始まりは噂上がり始めた大阪府知事選へ「二万パーセント有り得ない」と否定しながらも決起、後に大阪維新党の効率を求め市長に鞍替えしたり議会野党やメディアらと派手に大げんか繰り返しつつ。元々は現大阪松井知事と浅野とか言う人々が構想して改革の「顔」を幾人かの有名人に当たった末の橋下氏、だったと記憶しますが当初は余りの生意気さに辟易もしましたが結果的に面白かった、こう言っては怒られましょうが。慰安婦発言に関わり米軍を持ちだした事でヒンシュク買い、サンフランシスコ表敬訪問を拒否された辺りから風向きが変わって行った気がしますが、「ヤンチャさ」で名は残しましたね、都構想実現なれば歴史に名を残す処だったが充分暴れてやり切った充実感の様子。そりゃそうでしょ、数多の跡取り職業的二世三世議員に、何かのキッカケでたまたま議員の職を頂いた人達と比較すれば、彼の場合は生活費稼ぎではなくて「大いなる野望、改革」にワクワクしながら飛びこんだ世界でありましょう、今度で一応の「ゲームオーバー、あぁたのしかった!」、って心持にもなりましょう。すると、支持を続けた後に残されし府民達は溜まったものでは御座いません。「えっ?、これだけ引っかき回しといて後は宜しくってかい?」、残されしは失恋気分。
そう、安倍総理も法案通して危なっかしい国にした後は、「さようなら~」で、後に残されし今後の日本国民は「勘弁してくれよー」、と2015年を振り返るのでありましょうか。