No.1,185
2015年6月 1日
帯広の老舗スーパーも数年来、自主独立路線を断念し全国区大手と資本提携後に仕入れ形態依存、やがて本格的吸収合併へとの時代の流れに、「十勝モンロー主義」も今は昔としょうがないけれど、寂しく。
無論スーパーに限らずどの業界も全国的にその様な流れですが、十勝は農業酪農盤石基盤を盾に「鎖国的経済」を繰り広げては他の都市から各業営業マンが介入してきてもムゲに撥ねつけ、「何だ十勝は、やりづらい土地だなー!」と反発を買うも、地場圏内だけで経済を回している誇りを感じて助け合っていたものです。やはりソレは昭和的慣習と今となっては想い出しますが、それでも、現在でも「鉛筆一本買うにも地元の企業から」って拘り続ける方々もおられますのよ。JRに乗って、のんびりと窓の外を眺め地方都市に近付くと、今では何処の街を通過しても同じ様な全国チェーンの店舗が視界に入りまして連れて何処の街も同じ街に見える。帯広も駅前通りからしてもう、軒並み全国チェーン居酒屋がひしめき変わりましたね、昔から人口の割に頭抜けて夜飲食店数多いとは聞いていたけど居酒屋も多数で何処の誰が毎日席についているのか、と。確かに同時期頃から中心街にもビジネスホテルが乱立し、何処の何屋さんがこれほど当地にビジネスに来ているのか、採算が合うのか、との時期も御座いましたがナルホド、数年来のそれこそ「開国」した十勝は外からは大きなチャンスに溢れた街だったのですね。
観光客も飛躍的に伸びたでしょう、かつては商売も観光も道東へは釧路の基盤であった、漁業、製紙、炭鉱、釧路湿原等、目的の人々で溢れ十勝帯広なんぞ目もくれず素通り通過点、今の様に「豚丼」目当ても無かったし。 市長も謳うフードバレーとか、何しろ農作物頼りの土地柄になり農業関連の御商売は潤っている様ですが、昔は松山千春の足寄町の近く、と六花亭のホワイトチョコ位の認識が一番全国的には説明付いた時代だったのです、よん。