No.1,197
2015年8月31日
近頃自民党の複数若手議員が「しょうもない発言と、ネット配信等」、マスコミや世間から非難を浴びるもケロッとしては、党の上役に叱られて役職停止に離党なんて事態見受けられますが。
政治家としての人格を携えし者が立候補し、志を有権者に支持受け選抜される者がバッジ付け、特権を与えられ市井の代表として謙虚に議会へ臨むが最低限の議員たる資質と受け止めていたも、「どうも今世は勝手が違う」、と。「ウソだろ!」、って人間が国会を闊歩し紛れていても、時の選挙で例えば杉村太蔵君の様な一党が予想外の大勝で思いもよらぬ下位候補までもが当選してしまうケースもまま有り得ますが。
云われる様に、自民党の独壇場であった時代は党内での複数派閥争いを危惧されたものですが、小泉元総理の「自民党をぶっ壊す路線」あたりから末端議員まで目が届かなくなった弊害でもあるのでしょう。それと時代ですね、どうも戦後七十年復興を遂げ殆どの食うには困らなくなった後、平和を当たり前に享受して生まれ育ったこの時代の人々の思想が一般的に「そんな感じ」なのだろうか。だとすれば、もうこの先の時代は必然的に「そんな感じ」の人々だけの世の中になる訳で。老化し消えゆく順番の我々が幾ら「戦争は、殺し殺されはイケない!」と、「地球保全の為にも物質、経済偏重世界にクサビを!」と、ほざこうが実感のない人々には響かない。「戦争の道を開いておいて、国の大借金は背負わされ」、で、将来の多数派は過去をどう位置付けドッチを向いて進んでいくのかは上記の一部の議員を見ていると「ガラリと変わる」、も有り得るね。時代は繰り返すは真理なのかもね、科学の解明は進んでも人の頭の中までは時代とともにどうも賢くは為らないみたい。
昔は良かったとは言いませんが、せめて人としての種の経験知識は良心的に上塗りされて行くものと漠然と思っていましたが、ドウ余生に反映させるか考える「秋の夜長」です。