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エッセイSP(スペシャル)

本を読まないことの恐怖

梅津 邦博

2015年8月24日

 本を読まない人が多い。いつからそんなふうになってきたのか、高度成長を経て幸福感があるような時代になってきたからなのか。食も生活用品も満たされてきている社会ではあるだけに、人間は快楽性を追い求めることで劣化してゆくのである。知性など皆無に等しく教養とは何かがわからない人が多い気がする。元々日本人は勉強家で書物を読む人が多かったはずではないか、いや、ぼくはベンキョウカではないが。
 新聞にしても見出しと写真に眼をくれるだけだろう。当然、文というものに対峙していないために、たとえば手紙やハガキをきちんと書けない人が増えてきているのではないか。もう新聞そのものが読まれなくなってゆく時代が来るのでは、ということに有識者等が危惧している。
 今の高校生にしてもまともに新聞を読むなんていうのはあまりいないらしい。子どもたちはゲームにメールに一生懸命なのだ。幼稚園教諭を退職した姪に「新聞をちゃんと読んでいるか?」と尋ねたら、「ネットで見る」と即座に答えた。デジタル世代だな、と思う。呆気にとられたが、せめて「見る」ではなく「読む」と言ってほしかったな。しかし人間の生命感や皮膚感覚からすれば「紙の新聞が正しい」と宣言したい。
 本や新聞などとにかく文章を読まないということは「考える力」というものが身に付かないということを指すのである。
 大人でも裸一貫から仕事を立ち上げて今日まで来られた方が多いが、やはり本を読まない人が多い。つまりは自分の世界しか知らないのではと思われてならない。何か物事について語ることがあってもそれはどことなくテレビのバラエティ的質の話のような気がする。

 人と接するということは意識下があって世界があるわけである。自ら世界とどうかかわってゆくのかということは一種の主題なのだ。遵ってそれなりに身に付けようとする場合、本を読むことは最重要なことのひとつだろう。
 誰しも子供の時から「本を読まないといけない」とは言われているのだが、「それは何故ですか?」と尋ねても抽象的なことを述べる人が多いようで、明確に説明することができる人は少ないように思われる。
 日本語が読めれば誰でも本は読めるかもしれないが、しかしコトはそう簡単ではない。モノによってはなかなかにして読みにくいものだって数多くある。ともかくどう付き合ってどう読んでゆくかは、自らが読みつづけて軀で覚えてゆくしかないだろう。

◎プロフィール

帯広市出身。自営業。文筆家。
著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)
銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)
喜久屋書店/ザ・本屋さんにて発売中です。

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